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Twitterは芸術だ

芸術って何だと思いますか?

実は芸術に携わってる人間ですら、芸術ってのはいったい全体何なのか、よく分かってないんですよ。

さる芸術家は「芸術とは宇宙だ」と言いました。
「宇宙的ではなく、宇宙そのもの」だと。

意味がわかりません。

画像は宮城県カメイ美術館に飾られている烏山邦夫氏作成の「宇宙賛歌」ですが、なんと制作には100種類以上、7,000枚もの蝶の翅が使用されているそうです。

なんかもう一種の狂気すら感じます。

芸術家の仕事

私は思うんですけど、一般的に「マジで何考えてるか分かんない人間」が芸術家になるしかなくて芸術家やってると思うんですよ。

今日は、そんな「マジで何考えてるか分かんなくて怖ぇ」って存在から、「そんなこと大真面目に考えてるとか怖い」って存在にバージョンアップできたらなと思って筆を執りました。

そもそも日本人は小中学校の美術教育によって、「なんかめっちゃリアルに絵が描けるスゴイ技術力を持った人が絵描き」みたいな誤認識が蔓延してるんですけど、技術力が高い人は〈職人〉です。

人間の能力値の限界に挑む姿は美しいし、心を打たれますが、リアルさで言えばどう頑張っても写真には敵いません。

機械技術が発達し、人間にしかできないことを追求していった結果、芸術は徐々に「自然的に湧き上がるもの」という定義に変化していきました。

「俺らの内側から湧き出てくる感情は、ロボットにはねぇべ?」

って感じです。

芸術家の定義

そもそも〈歌〉と〈踊り〉と〈絵〉は、世界中どんな原始的文化であっても自然発生しています。
これは〈歌〉や〈踊り〉や〈絵〉で内在する感情や欲求を表現することは、人間という生物が元々持っている性質に由来されていて、後付けの知識で得たスキルではないことを証明しています。

そのため日本では『アール・ブリュット』と呼ばれる障害者アートこそが自然発生的であり、芸術だと評価する動きも強いです。

「芸術はよく分かんねえけど、知的障害者が描きたくて描いている絵は、純粋無垢で価値が高い気がする」って思ってる人がたくさんいるってわけです。

間違いじゃないけど、全容じゃない。

障害があろうとなかろうと、スキルがあろうとなかろうと、内在に湧き上がる感情に向き合い、純粋に表現しようとする全ての行動がアートなわけです。

芸術か、芸術じゃないか

芸術家達は、内側から湧き上がってくる怒りや悲しみ、喜びや尊さや懐かしさを、どうやったら表現できるかという試行錯誤を繰り返し、そうやって現代アートというジャンルが誕生したわけです。

だから5歳児が描いた「楽しかった運動会!」の絵ももちろん芸術だし、あなたが感情のままにぐちゃぐちゃに丸めてやった彼氏との思い出写真だって芸術作品です。

そんでもう1917年にデュシャンがその辺で売ってる便器にサイン入れて提出した作品が「優れた芸術品」として評価された時から、もう現代の形態で芸術であるかどうかを推し量るのは誰にもムリってなった。

マルセル・デュシャン『泉』1917年

芸術って…いったい何なんだ…?

まとめると

ちょっと待ってくれ…

・ロボットにはない内側から湧き出てくる感情表現
・エゴのない自然発生的な表現
・感情のままの素直な表現

これらが芸術だと定義されるのであれば、
Twitterって芸術だなと思ったわけです。

社会現象を背景に、
個々人が抱える問題を、
誰かに伝わるように
しかしエゴを介入させず端的に表現する…

かつて1000年以上も昔の日本で、推しの顔が良いとか、赤子のほっぺたが可愛いとか、化粧ノリ悪くて最悪とか、あの人に既読無視された…病み…とかいう内容を編纂した詩集が、歴史的な芸術作として評価されているように、ツイッタラーは知らず知らずの内に「最先端の芸術家」として活動していたわけだ。

日々広がり続ける宇宙のように。
とどまることを知らない湧き上がり続ける感情を。
一つの連続性を伴って。
社会的圧力や生活背景を取り入れながら…
次世代へと繋がる想いを…
恒久的に残しながら…

じゃあアーティストって何なの?

良い感じに壮大に終わらせようと思ったのですが、じゃあアーティストって何なんだってことですよね。

要するにツイッターで呟かれているような内容の、社会への不満や日常の気付きを、もっと深くもっと繊細に、分けわかんなくなるレベルの解像度で、そこに「遺す」「繋ぐ」という活動を続けている方々を『アーティスト』と呼ぶのだと私は解釈しています。

目や耳に心地良いかどうかだけではなく、もちろん技術力だけではなく、いかに見る人の思考を引き出すかを変態レベルの解像度でいつもいつも取り組み続け…結果として技術が付いてきてしまったような人種…

それが『アーティスト』と呼ばれているのではないかと私は思います。

前世代から引き継ぎ、次世代へと引き渡す、『研究者』に近い…ような気もしますが、どちらかと言うと『信託者』が近い気がしています。

個人という観念を捨てて、社会的な枠組みを超えて、超次元的な集団意識を捉えて、個人が触れることができるレベルにまで落とし込む…それがアートなんだ…

そりゃフランスでは「医者や弁護士が画家になれなくて諦めて医者や弁護士になる」って言われるのも分かる気がするわ。

技術力とか才能とか言う以前に、それできたら相当ヤベェ奴だもん。

ヤベェ奴になるには、人間的な努力とか自我とかを超越して、神様に愛されるようなことも必要だろうな…
と思うわけです。

とは言え、超次元的な集合意識を生み出しているのは我々一人一人の意識でもあるので、とどのつまりTwitterは現代の芸術だと思うのでした。

集合意識体を表現

以上を踏まえて、内在する自然的意識は、もはや個人の枠から抽出することは容易くなく、集団に内在する無意識の領域を集合させることで表現できるのではないかと私は考えました。

今は同世代の30〜50代の日本人女性を対象に、誘導催眠によって無意識の領域を認識していただき、そこにある意識を〈色〉で捉え、表現してもらうというアートワークを行い、その作品を集めています。

大量のサンプルを年代別や性別、国籍ごとに比較していくことができた時、見えてくる〈現代〉という形があるように思います。

見えなかったら見えなかったで、その時はその時だ。

早ければ3月のグループ展にて展示できるかもしれません。
お楽しみに。

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