家事を侮るなかれ!まずは好きなことからやれ!
前回の投稿↓で、書きました。こころから好きなことなら、エネルギーが尽きないと。
今回は、その続き。
まずは好きなことからやれ!というお話しです。
結論はこれでよかったんだ
家事もやらなきゃならないけれど、好きなことはやりたくてたまらない。まずは家事をかたづけてしまってからゆっくり好きなことをやればいい。
そんな風に考えますよね。
誰かへのアドバイスだって、多分そう言うんじゃないですか?
まじめな人なら自分自身に、そう命令するんじゃないですか?
うつ病の通院は終了し、さあ動けるぞと思ったけれど、当時なかなか家事ができない私でした。家事くらいできなきゃ仕事を探すなんて無理だと、思っていたのです。
そんな私へのある人の言葉はこうでした。
あなたは、家事が嫌いなのよ。仕事人間なの。
こころにヒットする言葉を聞くと、パッと目の前があかるくなったり、スーっと胸が軽くなったりするのですが、これは違和感しか出てこなかったでした。
別に私が家事が好きか嫌いかはどうでもよかったのです。
夫のアドバイスは違いました。
まずは好きなことからだろ。好きなこともできないのにそれ以外のことなんて、できるわけないだろ。
だから、何かしたくなったのなら、好きなことからやれよ。
なんとも救われる言葉でした。
そんなんでいいんだ~と、拍子抜けしたのを覚えています。
これまでにこころに刷り込まれてきたことなんて、知らんぷりしていい
子どもの頃から教え込まれたのは、まずはやるべきことをやりなさいということでしたよね。宿題とかお手伝いとか。
この教えは、大人になってもついてまわります。
繰り返し言われ続けたことは、こころに強く刷り込まれていって、やがてそれに無意識のうちに思考や行動がコントロールされます。
怒られたり文句言われたりしながら言われ続けていたなら、そこには自分のネガティブな感情もくっついて記憶されています。
このやるべきことからやれという教え、間違いではありませんよ。時と場合によるだけです。
やるべきことをさっさと済ませた方がいいときもあれば、後回しにしても大丈夫な時もあるということ。いつでもなんでも絶対これ!なんていう正解はありません。
何をどんなリズムでやっていくか、それは、人それぞれだし時と場合によるというだけのこと。
そして動けるようになった
やっかいな私は、好きなことをやるのに罪悪感を持っていました。それでも、夫のお墨付きをもらったのですから、好きなことからやってみました。
こころから好きなことをやっていると、元気が戻ってくるのは実感しました。
夢中でやっていれば、余計な思考が出てこないので、こころも整っていきます。
最初は、それしかできませんでした。
思いきり縫いまくりすぎて腱鞘炎を経験した私は、ようやく休憩を入れることの重要性に気付きました。目も疲れますしね。
タイマーを使って強制的に休憩するようになったのです。
そのうちに思いつきました。
パッチワークを30分くらいやって、休憩したら家事をしてみる。家事も、たとえ中途半端でも、20分くらいやったらパッチワークに戻る。疲れたらやりかけでもやめて休む。
あら不思議。
あんなにできなくて悩んでいた家事が、少しずつできていく。
どうしても根を詰めがちな私は、さらに完璧主義。こんな人がなにかをやりだしたら、徹底的にやろうとしてしまいます。その呪縛は解いてしまえ。自分を追い詰めてしまいますから。
だからこのやり方は、私自身に、中途半端でもいいよと許可をだしていく練習でした。
呪縛のままやり続けると、当時の私は疲労して動けないだけじゃなく具合が悪くなり、何日も寝込むことになります。そうすると、気分も一気に奈落の底におちてしまうので、元の木阿弥。
すると、行動することを恐がるようにもなっていました。
家事をあなどるな
家事なんて誰でもできるものだとか、ラクチンな仕事だとか、こころのどこかで思っていませんか?
家事は、頭と体を常に同時に働かせているんです。
食事の準備だって、食べる時間にいくつもの料理がそろって出来上がるように、段取りを考えながら動きます。
しかも1日の中で、掃除、洗濯、買い物等も含め複数のことをこなすんです。予算だって考慮して、家族の帰宅時間だとか、諸々考えることはいっぱい。そして考えながら動くんですね。
うつ病で電池が切れてしまった状態の人にとって、これは相当ハードルが高いです。
息子がお世話になっていた、ある武道の先生がよくおっしゃってました。
無茶はやめよう
ということで、いきなり以前のように家事をこなそうとしていた私が、無謀だったのでした。
おかげで最近は、家族のために夕飯をつくるとか、外仕事の息子が帰宅したらすぐお風呂に入れるようにとか、そんなことを考えて段取りを決めていく作業を、楽しく感じています。
好きなことをやったり、家族のために何かできたりするのは、喜びです。
続けられるように自分の体調を整えていこうという気にもなれます。
だからこそ、無茶な頑張りは、やめました。
できる範囲のことをやって、私自身が楽しく暮らしていることが、家族にとっては一番いいことなのかなと、今は思っています。
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