2.病名と向き合う私達


余命宣告されてから母とはラインで
日々やり取りをしていた。

母が落ち込むのは当たり前。
私まで落ち込んでいたら負担にさせてしまう。

だから私はいつも通りを心がけた。

だけど母からのラインは
『ごめんね。』『迷惑かけてごめん』
こんな言葉だった。

私は母に言った。
『謝らない。最後のその日まで楽しい事が
一つでも多くなるように過ごそうよ』
『退院したらさ、水族館にいかない?』

母は、遠出が嫌いな人だから
断られると思ったけど意外にも
返事はOKだった。

そして退院したあとの生活について話をした。

『退院したら私の家で暮らしなよ。
私の夫も一緒に住もうっていってるよ』

そう話したら、母は申し訳ないといいながら
一緒に住むことを納得した。

今まで一人で生きてきた母は
プライドが高いから私たちの世話に
なるのが本当は嫌なんだと思う。

でも、どうしたら甘えてくれるかな。
って必死に考えた。

すっごい考えた末に
『多分あなたは死なないから、
治ったら子守でこき使うから同居ね』

そう冗談でいってみたり
いろんな乗り気になる作戦を考えた。


そして退院後の生活で母にお願いごとをした。

『あなたが病気だからと言って
わたしは自分のやりたい事を犠牲にしない。
もし自分が同じ立場なら、子供が自分の為に
何かを犠牲にしたら辛すぎる。』

『だから私は、無理のない範囲で
自分のやりたい事をやったうえで
あなたの事もちゃんとやる。』

『あなたの為に自分を犠牲にしない。
だから安心してください。』

『そしてもう一つ。ごめんね、じゃなくて
ありがとうと言ってほしい。
その方がみんな優しい気持ちになるからね。』


そういうと母は、ラインを既読無視した←
ちょっとイラッとした(笑)

でも、母は不器用な人だから
多分病室で泣いてたんだと思う。

ちゃんと、わかってるよ。
あなたの人生で一番長くそばで見てきた。
そういう人だもん。


そして退院日が決まったので
新しい生活を我が家で送る為に
大急ぎで母の荷物を母の家から
私の家へお引越し。

一人で小さい子供つれながら
布団背負ってタンス運んで(笑)

幸いな事に、私の家には部屋がひとつ
余っていたのでそこを母の部屋に。

綺麗に整った母の部屋ができた。
綺麗な部屋と、これから背負っていく
重たすぎる未来に力が抜けそうだったけど
生きていくしかないし、背負っていくしかない。

ちょうどこの時に自分がお菓子屋さんを
始めるタイミングと重なって全ての重圧に
押しつぶされそうだった。

でも、お菓子屋さんもやると決めた。
ここで辞めてしまったら母のせいになる。

あなたのために私を犠牲にしないと
宣言したからには絶対走らなくちゃ。

根性論が過ぎるなーと思うけど
だれも傷つけない為には最善だったと思う。




その頃母は、点滴治療の効果で
すこし症状が改善された事で

『今まで通り働けるんじゃない?』
って考えてしまったようで。

突然ラインで
『退院したらそっちに少しいて
また仕事復帰して自宅にもどるよ』
といってきた。

私は目が点だった。

この人は何を言っているのだろう?

私がひとりで必死に引越した事、
旦那さんは同居を受け入れてくれた事。
これからの未来を真剣に考えた事。
母の全てを背負っていく覚悟。

今までの事全てが踏みにじられた気分だった。

そんなに私の世話になるのが嫌なのか。

なんだか、母の迷惑をかけたくない気持ちが
私を苦しめて振り回すものに感じていった。



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