9.束の間の安堵。
新しい病院に転院してからの母は
とても楽しそうだった。
病室に変わる変わる色々な職員の方が
顔を見せにきてくれるのが嬉しいようで
こんな話をしたよ、こんな人がいてね。
ってラインで毎日報告してきた。
新しい病院は、月に一度だけ面会ができる。
私は母に面会いつがいいかな?ときいた。
母は、
『面会いりません。
私、今、皆様に愛されて幸せです。』
なんだか意味わからない返事が来た。
病院の人たちと楽しくやってるから。と
言いたいのだろうけどそれとこれとは
話が違うと思うけど言っても聞かないから
わかったよ。と受け入れる事にした。
面会はなぜか断られたけど
飲み物や買ってきてと言われたものは
すぐに差し入れた。
週に2回。多い時は3回は
会えもしないのに荷物を届けた。
この荷物が私がきた事実だから。
一人じゃない事を、実感してもらえたら。
そう思って自宅から40分。
近くはない距離だけど頑張れた。
この頃はまだ機嫌が良さそうだったけど
母の気分は浮き沈みがある。
こんな病気だから当たり前だけど
一定のサイクルで回ってると感じた。
気が沈んでいる時は差し入れで
頼まれたものを持っていこうとしたら
突然電話で今日は来ないで。帰って。
と言われることもあった。
もう病院につくところだったのに。
面会じゃなく差し入れるだけなのに。
買ってきて欲しいものの詳細を
聞こうとした。
『私は苦しいんだよ💢ブチッ』
と怒鳴られながら電話を切られることもあった。
わたしは何をしているんだろう。
わからなくなることが増えた。
【2024年3月】
母から当たられたりすることが日常になっていた。もう耐えられなくて私は怒ってしまった。
他の記事でも書いているけど
私たち親子には普通と違うことがある。
母は、私が幼いときに言葉の暴力が凄かった。
今振り返ると虐待だったと思う。
でも母は外では全く違う人格だったから
誰も私の話を信じないと思う。
でも別にそれはそれでいい。
今、母が病気になってから変わってしまったのならどんな暴言も酷い態度も受け止めたと思う。
でも私が怒ってしまったのは
昔の母の姿と同じだったから。
人間、限界が来たときの姿が本当の姿。
そう思ってしまった。
こんなにずっと尽くしてきたのに。
心の奥では、昔から私の事
人間と思ってないんだろうな。
ってこの時は本気で思ってた。
限界で母にこんなラインをした。
『いままでも仕方ない。と思ってずっと我慢してきたけどさ昔から私のこと人間だとおもってないよね。八つ当たりしたくなる気持ちもわかるけど
『今だから』だったらいくらでも耐えてあげれたけどさ。昔からじゃん。昔は子供だったから自分が何かしてあげる事もチカラもなかったずっと我慢できたよ。今はこんだけ全力でサポートしてて尽くしてて最近の言い方されちゃうんだ。と思いました。』
母の事、一人で全て背負って動いてるのに。
報われなさすぎて爆発した。
もう、いい加減にしてほしかった。
全てにうんざりした。
でも一言あやまってくれたら
まだ頑張れるから嘘でも謝ってほしかった。
母からごめんね。と次の日にラインがきた。
本心かはわからない。
この時のことはのちにわかったことだけど
母はもう自分の感情をコントロールすることが
できなくて何をしたのかもわかってなかった。
この後から母から来るラインは
『苦しい...』
『ダメかも』
『頑張って生きる』
『もう、苦しくて死にたい』
こんな事が毎日続いた。
だけどあれほど面会を拒否していた母が
『私の親友の智代と一緒に面会にきて欲しい』
そうラインしてきた。
そろそろ寂しくなったのか。と思いながら
『わかったよ』と返した。
面会に行く日が決まった。
それと同時に母はさらに
ご飯が食べれなくなっていった。