10.溢れた水。
【2024年4月】
前回の続きで、私はすぐに
面会予約をいそいだ。
智代の都合で4/19日に
私は智代と二人で母と面会にいく事が決まった。
この日は私の子供の5歳の誕生日。
少しタイトなスケジュールになるけど
母が喜ぶならそれでもいいと思った。
私はこの頃になると常に息苦しさを感じ
日々悪化していった。
最初のうちはストレスを感じる場面で
苦しくて息が上がる感じがした。
すぐ治ると思った。
でも日を増すごとに苦しさと胸の痛みが
増えてストレスに関係なく息切れがした。
そしてスマホが鳴るたびに
喉の奥が苦しくなって呼吸を深く吸えなくて
浅い呼吸を繰り返すようになった。
このときに、自分のストレスが限界なのかなと
気づき始めた。
遅かった。
意思や気持ちとは関係なく頻繁に苦しくて
呼吸が浅くて酸欠のような感覚が増えた。
過呼吸のような状態になり
調べたらパニック障害と出てきた。
ハガネのメンタルが自慢の私が
そんなわけあるのか?と思ったから
まずは心臓の検査からする事にした。
【2024年4月17日】
苦しくて寝れない日が出てきて
ようやく心臓の病院にいき検査をした。
エコー、CT、血液検査。
全て異常無しだった。
医師から、精神科受診を勧められた。
検査が終わると同時に電話が鳴った。
母の病院からだ。
電話に出てみると主治医だった。
電話の内容は、痛みがひどいのでがん患者の緩和に使う麻薬と同じ扱いの薬の投薬を検討していて本人も希望していると。家族の同意が必要になるけど、大丈夫か。の確認だった。
私は、母が納得していて
母が楽になるものならもちろん賛成した。
それと同時に、
『この1カ月で母の病状は
かなり悪化しているから来月はさらに悪化
していくことが予想されます。』
と医師から言われた。
私は
『それは死ぬということですか?』
とはっきりと聞いた。
医師
『その可能性が高くなると思います。』
私
『わかりました。』
そう話して電話をきった。
投薬の同意書に私の署名が必要で、わたしはその日、子供を連れて母の病院へと急いだ。
母の病院に着くと、主治医が再び説明をした。
あの電話の後投薬を開始してすぐに、
母はソワソワしてしまいとても怖い。と
薬の作用を訴えて、吐いてしまったので
投薬をすぐに中止したと言っていた。
一応、投薬の署名は必要だったから書いた。
用がすんで帰ろうとした私達に医師が
『今、面会されますか?』といった。
この病院のルールでは
月に一度、予約をして10分だけあえる決まり。
今日は予約もしていない。
なのに医師が私達を引き止めてまで
そう問いかけたという事は
それだけ事態は重いという事を感じた。
でも私の答えは
『会いません。明後日会えますから。』
そう答えた。
この答えには理由があった。
母はプライドが高い。私たちが行ったらその時間だけでも平気なフリをしようとする人。
言い換えたら、私達の会いたい気持ちを押し付けたら母を犠牲にしてしまう。
そして今わたしの手には5歳の子供の
小さな手が握られている。
ガリガリに痩せた母の姿。
容姿に気を使っていた母が
白髪だらけの老婆のような姿。
今会ったらこの小さな子供にとって
このやつれた姿が祖母の最後の記憶になる。
割と若くてまぁまぁ綺麗な方の母。
それが母にとって自慢だったと思う。
そんな人だったから孫に会える事よりも
この姿を見られる事の方が嫌だと思う。
そして私も楽しい記憶だけ
小さな子供にのこしてあげたかった。
会わないことが優しさだった。
医師に面会を断り
病院を背にするとき。
この決断は間違いない。母ならそう望むはず。
絶対の自信があったから後悔は今だに無い。
病院の帰り道、子供と手を繋いで歩いた。
たんぽぽとわた毛が咲いていた。
まだ寒いけどあったかい春だなって思って
子供と立ち止まりみち草した。
『ママぁ!この丸いやつナニ?』
『わた毛っていってね。たんぽぽの種なんだ。
フゥってすると飛んでいくんだよ』
二人で病院の目の前で
わた毛を吹いて遊んだ晴れた春の日。
暖かい春が来たのに、
私達は冬に置いていかれてる気がした。