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13.お葬式と骨になった母
葬式当日。
私は黒の留袖を着た。
32歳で留袖を着て
喪主をするとは思ってなかった。
お焼香のやりかたもあやふやで
葬儀も16歳くらいで一度いったきり。
何にも知らないままいきなり喪主😂笑
会場についてから、届いたお花を見て驚いた。
身寄りもないような母と私。
お花を出してくれるのは旦那の実家と
私本人がだすお花しかないと思ってた。
そうだと思ってお供えのお花は
寂しくないように私と旦
12.葬儀準備【送り人編】
生前の母は、病気になるまえから
死を迎える準備だけはバッチリだった。
病気になる3年前に葬儀積立に入り
お墓の管理がいらない他人の骨と合同で
埋葬される共同墓を生前予約して
自分の名前までばっちり彫っていた。
(簡単に言うと、お墓のシェアハウス版)
当時の私は、死に急ぎすぎじゃない?
って母に言った記憶がある。
墓石に名前まで彫った時は
驚きと怒りみたいなものが混じった。
『まだ元気なの
11.最初で最後の面会日。
【2024年4月18日】
明日はわたしの子供の誕生日。
そして母と面会をする日。
母の親友、智代の都合で
明日に面会が決まった。
面会にいったあとは
家で子供の誕生日会をする予定。
ケーキ屋さんにケーキの予約をした。
母の病院の近くのケーキ屋さんにした。
面会が終わったらすぐにケーキをもって
子供の誕生日をお祝いしたい。
明日は忙しくなりそうだから
プレゼントだけ先に渡しちゃおう。
そう
6.介護と公的制度。
2023年10月
もう、寝たきり状態の母。
風呂もトイレも食事も介助が必要だった。
どうにもならなくて福祉のサービスを
頼れないか考えるようになった。
そう考えた時、介護認定申請を出した。
承認に3か月かかるといわれた。
絶望した。
とにかくすぐに手続きをした。
役所の人も状況の悪さに、急いでくれて
親身になってくれたと思う。
介護認定申請をだす
↓
役所が我が家へ実態調査にく
4.息を潜めた確執。
私達親子は、私が5歳の時から
ふたりだけで生きてきました。
20歳で私を産んだ母は
自由を失って右も左もわからずに
終わりのない孤独感を抱えながら
子育てに必死だった。
日々を生きることで余裕がなくて
私との時間はなく、私の記憶に残るのは
母が常にイライラしている姿と誰もいない家。
互いに、会話する時間もなかったと思う。
今の時代なら虐待になっていた環境だと思う。
でも、ヒステリックな母の
2.病名と向き合う私達
余命宣告されてから母とはラインで
日々やり取りをしていた。
母が落ち込むのは当たり前。
私まで落ち込んでいたら負担にさせてしまう。
だから私はいつも通りを心がけた。
だけど母からのラインは
『ごめんね。』『迷惑かけてごめん』
こんな言葉だった。
私は母に言った。
『謝らない。最後のその日まで楽しい事が
一つでも多くなるように過ごそうよ』
『退院したらさ、水族館にいかない?』
母は、遠出が