ストライカー高橋佳 2年目の変化〜タガタメ〜
2年連続得点王
世界中がコロナの影響で、今まで経験したことの無い生活様式を強いられた2020年。私が注目している東北社会人リーグも、7月に開幕し試合数も半分の9試合のみでの開催となった。
そんな異例のリーグ戦で前年以上の決定力を見せつけ、2年連続得点王に輝いたのがブランデュー弘前FCのストライカー高橋佳である。
・9試合で22得点(18試合32得点)
・9試合で6回のハットトリック(18試合で4回)
・シュート成功率45.8%(40.5%)
・1試合平均2.44得点(1.77)
※( )内は2019年の成績
上記が2020シーズンの高橋の成績だが、これだけを見ても彼の成長曲線の凄まじさが見て取れる。
今回はそんな彼の2020シーズンを振り返ると共に、成長曲線の秘密に迫っていきたい。
不満と悔いが残ったシーズン&ベストゴール
高橋に「シーズンの自己採点を、100点満点でお願いします。」と尋ねたところ「謙遜とか謙虚とかって訳では無いです。」という前置きを添えつつ「30点」という極めて低い答えが返ってきた。
①目標であったJFL昇格を果たせなかった。
②決めるべき場面で外すことが多かった。
というのが主な理由だそうだ。
しかしながら少し厳しすぎるのではないかと思い、良かった点を聞いてみた。すると「去年よりはコンスタントに点が取れた事。勝負所での得点が増えた事。」と少し不満気にこの2つを挙げてくれた。やはり本人は相当悔しい思いをしたようである。
もう少し具体的に何処に不満を持っているのか、聞いてみた。
JFL昇格を逃したことについては、「地域CLに置いては2019年よりは、相手チームとの力の差は感じなかった。初戦の栃木シティ戦も自分が決定機を決めていれば結果は違っていたはず。チームとしての成長を感じた。負けた試合でも、スコアが逆になってもおかしくなかったという手応えはあった。最終戦はネモさんの欠場(根本直弥選手が累積警告で出場停止)が大きかった。ネモさんのせいです。(笑)」と冗談を交えながら答えてくれた。
そして決めるべき場面で外す事が多かったという点を聞くと「一昨年よりも去年の方がそういう場面が多かった気がします。そして地域CLの栃木シティ戦の決定機(後半9分位)を外した場面は、東北社会人リーグだったらDFの寄せは多分来てません。でも、あの時はDFが寄せてくるのが目に入って焦ってしまって。もっと落ち着いてコースを狙えば良かったんですが、ゴールの左上に突き刺すつもりが左下の枠外に行ってしまって・・。あの場面がずっと頭から離れないんです。それが自己採点30点の1番の要因ですね。」と説明してくれた。
これは単にリーグのレベルの差だけではなく、地域CLという特別な舞台が少なからず影響しているのではないかと思う。最終戦のネモさん(根本直弥選手)の出場停止に関しても、同じ事が言えるのかもしれない。
因みに本人が選ぶ2020年のベストゴールは地域CLのラランジャ京都戦の決勝ゴールだそうだ。このゴールで見せた相手を背負いながらトラップで交わしてゴールを決めるという形は、昨シーズン高橋が取り組んできたゴールパターンのひとつである。※レヴァンドフスキをイメージした形だそうだ。
高橋佳2020年ベストゴール
教えてネモさん
少し話が逸れてしまうが、高橋に「この選手の欠場が大きかった」と言わしめたネモさんこと根本直弥選手に、2020年の地域CLについて直接聞いてみた。
Ⓠ高橋選手は「最終戦はネモさんの欠場が大きかった(ネモさんのせいだ!)」と言っていましたが、ご本人はあの試合どういう思いでご覧になってましたか?
Ⓐ試合に出れない悔しさはもちろんありました。尚更、勝てば決勝リーグに上がれるという大事な一戦でもありましてので。
出場停止が決まっていたので、前の日からチームが勝つ為に自分は何をすべきかをずっと考えていました。
試合前はチームを明るくして、いつも通りを心掛けるように意識しました。
試合の入りは悪くなかったし、ゲームも支配している時間も長かったので、みんなならやってくれると信じていました。
しかしながら、何かが起きるのが地域チャンピオンズリーグです。
同じような失点も重ねてしまって、自分たちの甘さが出た試合でもあると思います。
決めきる所や守りきる所のあと一歩をもっと追究して行かないと勝てないなと感じました。
みんなで悔し涙を流したあの日を忘れずに。今度こそJFLへ。
Ⓠ2枚のイエローカードの場面を振り返って頂けますか?
Ⓐ1枚目:vs栃木シティ戦 49分
前半を0-0で折り返し拮抗している中、セカンドボール(ハイボール)で五分五分になった所、もしこれを取れれば流れを引き寄せられると思いました。
相手もそうだったと思います。でも自分が一歩遅かった。正直な話、イエローカードをもらう覚悟でした。
また、そのボールに行かないで待つ判断もありましたけど、あの時間帯、試合の流れを見ての判断です。まだまだでした。
2枚目:vsラランジャ京都戦 41分
これも前半で先制した中で、自分たちが相手コートでやりきれず相手のカウンターを阻止してのイエローカードだったと思います。
ボールに行ったつもりでしたが、相手がうまく身体をぶつけてきたので、僕が倒してしまった形になりました。
イエローカードをもらわない程度で奪いに行きましたが、もらってしまった悔しい1枚です。
でも仕方ないです。割り切りました。そのシーンで失点する事もなかったので。
もう累積も決まったので、その試合は、死ぬ気で戦ったの覚えています。(笑)
Ⓠやはり、地域CLという舞台があのプレーをさせたのでしょうか?
Ⓐそれは間違いなくあると思います。
●地決という舞台への想い
自分でいうのもあれですが、イエローカードも中々もらわない選手ですし、ましてや
累積はサッカー人生で初でした。
(※レギュラーシーズンでは9試合出場で警告0。2017シーズン迄遡って調べてもトータル40試合以上出場停止して警告0)
なんでここで!とも思いましたが、それも含めてサッカーだなと思いましたし、今回の地決に賭ける想いもありました。
2年連続で地決を経験し、それも踏まえて今回がチャンスだと思っていました。チームも良い具合に仕上がってきていたので尚更です。
自分自身もチームでも年齢が上になってきましたし、自分が上のカテゴリーにのし上がっていく為にもJFL昇格がマストでした。
そんな想いで臨んだ地決でしたけど、敗退を受け止め、この経験を活かしてまた戦っていくしかないです。
自分のサッカー人生はまだ終わらないですし。また、あの舞台に戻ってきます!
Ⓠ最後に高橋選手にメッセージをお願いします。
~メッセージ~
佳とは、よくご飯に行ったり、温泉に行ったりとプライベートでも仲が良くて、僕を慕ってくれている良い後輩です。
サッカーでは、鋭い嗅覚とゴールへの貪欲さでチームのエースとして欠かせない存在になりました。
佳が入団する前は、逆に僕がFWをしていたのでちょっと悔しい気持ちもあります。
(笑)
佳は新たな挑戦を選び、僕は弘前での挑戦を選びました。
またどこかでサッカーができることを楽しみにしています。ご飯も行こうね
2年目の変化と新たなモチベーション
「去年よりはコンスタントに点が取れた事。勝負所での得点が増えた事。」だけでは、どうしても説明がつかない程数字上の変化が表れた2020シーズン。
「あらゆる数値が上がってますが、ご自身では何が原因だと思いますか?何か変わったところなどありますか?」と、聞いてみた。
すると「体のキレが特に良かったという印象はありません。。技術的にも、特に何か変わったという感じはありません。」と、少し拍子抜けするような答えが返ってきた。だが・・・・。「ただ、気持ちの面で大きく変わりましたね。」と、続けた。
「去年(2020年4月)から学童で働かせてもらうようになって、子供達と接する事が多くなったんですよ。ありきたりな言い方ですけど、子供達に元気をもらったというか、力を貰ったというか。」
という思いもよらない気持ちの変化を教えてくれた。高橋はこの仕事に就いて、子供だけでなく親御さんからも激励の言葉を掛けられ更に自分のモチベーションに繋げていったそうだ。
「僕の子供の頃と違って、今の子供はコロナの影響でマスクをしなければいけなかったり、行きたいところに行けなかったり、色んな事を我慢しなければならないんです。そんな子供達がなるべく楽しめる様な環境を作ってあげるよう心がけてました。早く子供たちに会いたいって思いながら毎日過ごしてました。」と、子供達への想いを語ってくれた。
そんな子供達とも、今シーズンのF.C.大阪への移籍によってお別れしなければならなくなった。市役所の計らいで、何人かの子供達とはお別れの挨拶が出来た。中には泣いてしまう女の子も居たそうだ。
そんな職場での触れ合いを通じて、高橋自身が「将来こんな親になりたい!こんな風に子供を育てたい!」と思える親子に出会ったそうだ。退団のニュースを知ったその親御さんから、SNSを通じてメッセージを貰ったことがすごくうれしかったとも語ってくれた。
高橋佳というサッカー選手は、常に感謝の気持ちを忘れず誰かの為に闘うような男である。
頑丈な体に産んでくれた両親に感謝し、亡き祖父母と交した約束(Jリーグでプレーして、試合に招待する。)を果たす為にゴールを決め続け、ゴールを決めたらパスをくれた仲間やシュートコースを作ってくれたチームメイトへの感謝の気持ちを忘れない。そんな高橋に新たなモチベーションが加わったのが、2020シーズンの1番大きな変化だったのだ。
前述したように2021シーズンは地元大阪に帰り、F.C.大阪(JFL)で闘うことになる。
「弘前(青森)は好きです。ブランデューにも感謝しかありません。津軽弁も分かるようになったし大阪でもたまに語尾が津軽弁になることもあります。」
2年間を過ごした弘前への想いを語った高橋は、地元大阪でもゴールを量産してくれるであろう。
自分を育ててくれた弘前への恩返しという、新たなモチベーションを糧にして。