東北を熱くするストライカー高橋佳(ブランデュー弘前FC)
驚異の得点力
2019シーズンの東北社会人リーグ1部は、いわきFCが圧倒的な強さを見せ優勝を飾った・・・・訳では無かった。実は最終節を前に、2位との勝ち点差は3しかなかった。最終節でその差は5に広がったものの、決して勝ち点で首位を独走していたわけではなかったのだ。
いわきFCが圧倒的な強さを見せたのが得失点差だった。18試合で104得点、4失点。得失点差は+100である。これはまさにダントツであった。1部昇格1年目でリーグを制し、そのままJFL昇格をも決めたいわきFC。チームとして、驚異的な得点力と鉄壁の守備を見せてくれた。
そんな東北社会人リーグ1部で、個人として驚異的な得点力を見せ、リーグ得点王に輝いたのがブランデュー弘前FCのフォワード高橋佳(たかはしけい)であった。彼は18試合で32得点という記録を残した。その活躍もあり、チームも82得点、14失点、得失点差+68といういわきFCに次ぐ記録を残した。いわきFCと最後まこで優勝争いをしたチームこそが、ブランデュー弘前FCだったのだ。更に詳しく個人記録を調べてみると、18試合中15試合で得点を記録。右足、左足、頭、どの形でもゴールを決め、得点した時間帯も前半と後半でほぼ差が無かった。そしてシュート成功率は40%を超えていた。そんな高橋の得点力の秘密に迫る。
※高橋佳選手本人へのインタビューから抜粋しています。
生まれながらのストライカー
高橋佳は、大阪府豊中市で生まれ育った。幼稚園の時に地元のクラブチームの練習を熱心に見学していたところ、コーチに「やってみるか?」と声をかけられ彼のサッカー人生は始まった。実は年齢的には本来なら入団出来なかったそうだ。もしかすると、コーチは幼き日の高橋に何か光るものを感じたのかもしれない。当時から得点を取るのが好きで、ポジションはずっとフォワードだった。本人曰く「周りよりは点を取る自信があった。」そうだ。
中学進学に伴い、昔から好きだったガンバ大阪Jrユースのセレクションを受ける。1次、2次を免除されるという高待遇に「行けるんちゃうか?」という期待に胸を躍らせた。しかしながら最終選考で落ち、彼はサッカー人生で初めての挫折を味わった。
培われた反骨心とゴールへの意識
ガンバ大阪Jrユースへ入れなかった高橋は吹田市を拠点に活動する強豪「千里丘(せんりおか)FC」に入団した。
「千里丘は、ガンバとかのセレクションで落とされた反骨心の塊の奴らが集まるクラブです。」とは、高橋の言葉である。もちろん高橋本人も反骨心の塊であることは、言うまでもない。挫折を経て逞しく成長した高橋は、阪南大高校との練習試合での活躍が認められ特待生として同校への進学を勝ち取った。
阪南大高校への進学は、高橋にとってサッカー人生で最大とも言える分岐点となった。そこで今のフォワードとしての殆どが形成されたのであった。
ゴールを決める為の動き出し、相手との競り方、点を取る事へのこだわりや意識、高校での3年間で今までにない程に得点感覚を磨いた。高校2年の時にインターハイに出場するも、1回戦で杉本太郎(現、松本山雅FC)率いる帝京大可児に敗れている。3年生時は、全てあと一歩のところで全国大会出場を逃している。その先の進路について漠然と「阪南大学に行くんかな〜」と考えていた高橋に転機が訪れた。
高校のチームメイト2人を見る為に京都産業大学の監督がプリンスリーグの試合会場に訪れた。すると高橋はその試合で2得点を決めたのだった。その活躍により、京都産業大学への進学が決まったのだ。
苦難の先に開けた未来
京都産業大学に進学し、最初からAチームに入っていた。当初は途中出場が続いたが、結果を出すことでスタメン定着を掴んだ。しかし、家庭の事情で1日練習を休んだ次の試合からベンチ外の日々が続いた。千里丘FCで培った反骨心と誰にも負けないゴールへの執念で再びスタメン定着を勝ち取ったのは3回生になってからだった。そのまま活躍を続け、4回生になった高橋は「背番号10」を受け継いだ・・・・。
京都産業大学の10番。4回生になってこの番号を背負うと途端に重圧がかかるそうだ。高橋も重圧を跳ね返そうと必死に努力したが、思うような成績を残す事が出来なかった。「活躍しなければならないと考え過ぎ、重圧に負けてしまった。」と、本人が答えてくれた。しかしながら日々の努力と負けん気で着実に成長を遂げた高橋に、また新たな出会いが訪れる。
卒業後の所属先が決まらずに居た、関西大学リーグ最終節。その試合を見に来ていたのが内藤就行氏(当時ブランデュー弘前FC監督)だった。内藤氏が京都産業大学の監督に「誰かいい選手が居たらお願いします。」と声をかけたところ、高橋を紹介されたのだ。
内藤氏は、高橋が出場した全試合の映像を見て、「是非ブランデュー弘前FCに来て欲しい!」とオファーした。それを聞いた高橋は東北リーグで弘前(全く知らない土地)ということもあり、一瞬迷ったが、「自分を必要としてるチームがあるのに、俺は何を悩んでんねん!?」と考え直し未知の土地弘前へ行く事を決断した。
新たな挑戦、そして約束を果たす為に
弘前で国内でありながら言葉の壁や、様々な困難と戦いながらサッカーに打ち込みゴールを狙い続けた。1年目からフル出場して、リーグ得点王。JFL昇格を決める地域決勝にも出場したが、残念ながら一次リーグで敗退してしまった。JFL昇格を決めたいわきFCとの対戦や、地域決勝での試合についての感想を聞いてみた。すると、「自分がしっかり決めていれば勝てた。」と言ったのだ。どこまで貪欲なのだろうか?JFL昇格を目標としてるブランデュー弘前FCにおいて高橋の発言は頼もしい限りである。しかし、逆に高橋以外に勝負所でゴールを決め切る選手が居なかったから昇格出来なかったとも言えるだろう。本人もそこを打開すべく、周りとの連携やアドバイスを積極的にしていくと決意を新たにしていた。
高橋は今年で24歳になる。世代別の日本代表経験者や、高校大学で輝かしい経歴を持つような選手でさえ夢を諦めたり、引退したりする中彼のモチベーションの源が何処にあるのかと尋ねてみた。すると「家族です。」と即答した。両親から「佳の試合を観ることが生き甲斐なんだ。」と言われた事があるそうだ。自分の事を生き甲斐と言ってくれる両親の為、そして「いつかJリーガーになったら招待するから試合見に来てね!」という天国の祖父母との約束を果たす為。彼はゴールを狙い続ける。
「大きな怪我をしたことが無いので、丈夫な体に生んて育ててくれた親には本当に感謝してます。」そんな感謝を忘れない高橋は、サッカーにおいても同じである。「自分がゴールを決める事が出来るのは、皆が繋いでくれたおかげ。」「自分が前線から守備をして走り回るのは、自分の売りでも何でも無い!mustてす。やらなければならない事なんです。チームの勝利が最優先。」これらの言葉は形式的な回答ではなく、本心からのそれであろう。
今年から監督が変わり、より攻撃的なサッカーでJFL昇格を目指すブランデュー弘前FC。その中心選手「高橋佳」。個人として掲げた目標「シーズン40得点以上」をクリア出来るのか?そして、天国の祖父母との約束を果たす事が出来るのか?新たな挑戦は間もなく始まる。東北社会人リーグ1部に、是非注目して頂きたい!
高橋佳プレー集