祈りの態様とは
「祈るのは誰のためだ」
午前一時の公園、目の前でおじさんがボソボソと呟いている。俺がベンチで少し意識を飛ばしている間に近づいていたらしい。気付かなかった俺が悪いが、正直に言うなら、不気味すぎて取り合いたくない。
おじさんは返事を待っているのか、そのまま突っ立っている。と思えば急に俺の隣に座り、また聞き取りづらい声量で同じことを聞いてくる。
「居るか知らないですけど、神様じゃないですか」
悪手の中の悪手を打って、状況の打開を試みるのはギャンブラーのやり口だ。そこから起死回生できる人間だったらばドラマティックでいくらかいいと思う。
「居るか知らないモノに、お前、祈るのか」
「……祈らないです、俺、祈ったことないんで」
おじさんはタバコを取り出して、二口ばかり吸ったら指で弾いて地面に落とした。暗くてどこへ飛んだかは分からないがずいぶんな態度だ。
「じゃ、俺は、何に祈ると思う?」
地獄に合コンがあるなら今みたいな会話がされるんだろうな。正解はないし、就職面接でたまに会う、絶対に落とす時に使う質問みたいな後味の悪さがぬるぬると這ってくる。興味が無いけど返さなければならない空気になってしまったのは、俺がこの状況をひっくり返せるひと握りのギャンブラーなんかじゃなかったからだ。
「悪魔とかですか」
「馬鹿なんか、お前。俺は俺に祈るんだよ」
そら見ろ、どう返事しても負けだ、そんな答え正解しててもつまらないものだ。何をニヒルに笑ってみせてるんだこのおじさん。いよいよ、黙って立ち去らなかった自分の愚かさを、それまでただ客観視していたどこかの自分が責めだす。
「祈りは俺が、俺に祈るから意味があるんだ。誰かに捧げればそこまで、捨てたもんになるんだ」
おじさんはへ、へへ、と笑ってポケットから写真を取り出す。可愛らしい少女の首から下げられた十字架のあたりはやたらと窪み、おじさんはその窪んだあたりを爪でがりがりと削る。きっと、穴が空いてもそうし続けるだろう。
「人間の祈りは、人間のためにある。思い、願って、叶えるために祈るから、これは神様なんかに捧げてなるもんかって、なあ」
おじさんはそれから、ごめんな、と言って静かに写真を眺めていた。俺にはなんの事情も分からないが、あの十字架だけは憎いんだろう。
それから黙ってそこを離れて、自販機でコーヒーと、少し悩んでオレンジジュースを買う。
どんどん静かに暗く沈む世界を横切って、見つけた曲がり角で缶のフタを開けた。
「おじさん、諦めて早く神様のところ行かないとダメだよ。祈るのは、生きてる人間の特権だからさ」
わずかに供えられた花の側へコーヒーとオレンジジュースを置いてから、俺は、グーグルマップで交番を探すことにした。
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