王越(おうごし)について part2
こんにちは、千恵です!
今日は王越についてpart2ということで、王越町の人口や産業から王越の現状や歴史を書いていきます。
(正直今回はまとめ記事みたいになっちゃったんですけど、王越のこと知る上ですごく良い情報が集まったと思うので、そのままアップしちゃいます😂)
人口
2022年6月30日現在で、王越町の人口は812人です。
年代別のパーセンテージは0~14歳の年少人口が2.8%、15~64歳の生産年齢人口が36.1%、65歳以上の老年人口が61.1%となっています。
すなわち、今王越町は限界集落と呼べる状態になっています。
世帯数は445戸で、一戸あたり平均1.8人となります。
実際暮らしてみてやはりご年配の方が多いなと感じていましたが、データからも独居や夫婦二人暮らしのご年配の方が多いことが分かります。
1980年出版の王越村史によると、当時の王越の人口は 2,724人です。
なんと約40年で人口が70%減少しました。
一方で世帯数は585戸と、人口に比べると減少率は抑えめ。
当時は一戸当たり平均4.7人で暮らしていた計算となります。
もう少しだけデータを見てみたいと思います。
今から20年前の2002年の住民基本台帳では人口は1,530人。
年代別のパーセンテージは年少人口が7.7%、生産年齢人口が57.7%、老年人口が34.6%です。
今から10年前の2012年の人口は1,170人。
年代別のパーセンテージは年少人口が5.3%、生産年齢人口が51.0%、老年人口が43.7%です。
年代ごとの人口推移を表にしてみると、今現在55歳以上(2002年時には35歳以上)の人口は、どの世代も少しずつ減ってはいますがグラフの形に大きな変化はなく、ほとんど町外に流出していないことが分かります。
一方で今現在は54歳以下(2002年時に34歳以下)の人口は、どの年代も10年20年経つごとに人口が減っています。
生産年齢の人口数が大きく自然減することは考えにくいので、この減った方々は町外に生活の拠点を移し、それが王越の人口減の原因の一つになっていると考えられます。
また、生産年齢人口が少ないと必然的に出生数も減り、人口は減少の一途を辿っています。
産業
今も昔も王越町の主軸産業は農業です。
現代の主軸作物は水稲やミカンです。
しかし少子高齢化に伴って農業の担い手も年々減ってきていて、耕作放棄地が増えてきています。
先人たちがせっかく開墾してきた貴重な農地をどうにか繋ぎ、発展させていきたい思いです。
でも、今ある農地って一体いつ開墾された農地なんだろう?
農業の歴史
明治時代以前は主食である水稲を中心に麦やサツマイモの栽培がおこなわれていました。
果樹栽培が普及し始めたのは明治30年前後のことです。
日清戦争後、外国との文化やモノの行き来、生活水準の向上、新産業の発展などから農業や農村も大きく変革したのがきっかけで、王越でも果樹の栽培が始まったようです。
大正8年には開墾助成法という法律の施行に伴い、王越の果樹園地が大きく開墾されました。
今傾斜地で柑橘の栽培がされている農地はほとんどこの時に開墾されたものだそうです!
100年以上前!
当時は香川産の柿の評判がよく、柿の栽植がメインで行われていたようです。
初めて県外へ柿の出荷をしたのが昭和9年で、その翌昭和10年には大阪中央市場における品評会で一等賞を獲得し、柿の新興産地として一躍県下に名声を博したそうです。
みかん始まりじゃなかったのはちょっと意外ですね😮
長くなってきたので、今回はここで一旦区切ります。
次回、王越の農業後編!