ピローマン 観劇記録
脳内をぶち撒けたくなる体験をした。
余りにも残酷で重く物悲しいのに、
こんなにも愛を感じ、創作に対する熱い思いが伝わる素晴らしい戯曲。
そしてその世界観を見事に現す役者陣の上手さや、演出の巧みさが光っていた。
いつまでも興奮がさめない。
2024/10/8 新国立劇場 小劇場にて
ピローマンの初日公演に足を運んだ。
最近は観劇から足が遠のいていたのだが
昔から芝居姿の好きだった木村了くんが急遽代役を務めるという告知がSNSで回ったきた。
いざ調べてみると主演が成河さん
しかも演出・翻訳が小川絵梨子さん!
これはかなり間違いないぞ...と思っていたが
何よりも
作:マーティン・マクドナー ?!?!
2023年公開の
『イニシェリン島の精霊』が記憶に新しいが
私はこの作品がとても好きだった。
ピローマンを観劇してみてこちらの戯曲の方がずっと先だが、やはり通じる部分が多かった。
パッと思いつく部分だと
・ある日突然に日常が一変するが、本当はずっと以前から抱えていた根深い問題が露わになる
・芸術(物語)の力を信じている
・人から蔑まれ愚かだと軽視されている者の賢さ
・世界や人を諦め嫌悪している様で、最期までそれらを見捨てずにとことん付き合う姿勢のマクドナー
・指!!!指好きね!!
特にピローマンのミハエルとイニシェリンでバリー・コーガンの演じたドミニクは、作品のメッセージで担うものや立ち位置が似ていて思い起こされた。この時のバリコ、良かったよね。
あらすじや事前情報だと、ショッキングで重たい内容だと感じたし、トリガーアラートも設定されていたので、もし下記のトリガーアラートを確認して大丈夫であれば、兎に角観てみて欲しい!
個人的には舞台装置や小道具もシンプルかつ効果的で、過剰に恐怖を煽る様な演出ではなかったと感じるし、SNSなどを見てもアラートに記載されている様な描写が苦手な方でも、大丈夫だったor観て良かったと感想を書いている方が多かった。
私は1幕目を半分過ぎた辺りから涙が止まらなくなり、1幕終えた時に(これってまだ前半?終わったんじゃなくて?さっきのがラストじゃなくて?まだいくの?末恐ろしい傑作では?)と驚き、2幕目は鼻水まで止まらなくなる程号泣しながら観たし、ブラックユーモアでは会場内でも何度か声が上がるほど笑っていたので兎に角情緒が揺さぶられた。
確かに恐ろしい部分もあるけれど、終わった後は本当に愛やら情熱やらを沢山持ち帰ったし、帰り道で直ぐに2回目のチケットを買うくらいに心を掴まれました。
涙脆い方はハンカチ必須です。
公式の下記からチケット購入できます。
小さな劇場なのでどの席も近く、1番高い席でも手数料込みで1万円しない事に驚いた。
こんなにも質の高い芝居がこの値段で観れるなんて本当に素晴らしい。学生は当日学生証を見せると半額になるらしい。自分が学生時代に演劇に出会えていたら良かったのに...と思わざるをえない。
というか本当に役者さんたち!
本当に素晴らしかったです!
成河さんの舞台は『ブルース/オレンジ』や『スリルミー』など何度か観たことあるのでそりゃ凄いのは知っていたのだけれど、今回も例に漏れず。
精神の細やかな流動とか揺らぎとかの表現が本当にお上手だし、身のこなしも凄い。
今回は残酷で重いテーマではあるけれど、カトゥリアンの在り方が軽やかであり可愛らしくもあるので、このピローマンの世界に入っていく際に優しく手を引かれている感覚になった。
あとカトゥリアンである所と語り部である所、感情を爆発させる所と、少しゾワっとさせる所のバランスが凄かった!
そして了くん!
急遽代役を務めたとは思えない程仕上がってた。なんやこれ。
役柄として決して簡単ではないし、セリフや演じる上で精神的に1番ストレスがある役かも知れないのに、それまで稽古をしてきたカンパニーの中でちゃんとミハエルを確立してみえた。
カトゥリアンよりも歳上だけど子どもの様な純粋さと、異物感というか、神々しくも恐ろしくもある感じ。
成河さんよりもだいぶ歳下だし、お兄ちゃんに見えるのは無理があるんじゃ?とか思ってたけど、ちゃんと身体は先に生まれた感じというか、とてもミハエルが似合っていて驚いてしまった。やっぱり了くんのお芝居が好きだなと思ったし、ピローマンに出会わせて貰えて、尚且つ代役としてめちゃくちゃカッコいい役者姿でした。
ここまで書いた私のテンションだけでも、
如何にピローマンが心に刺さったか伝わっていると思う。
10/27までやっているので、
是非是非観て欲しい!本当に!
観たら連絡欲しいくらいだよ!
以下からは初見後に印象に残った場面や
私がどう感じて何を思ったかを書き殴っていく。折角思ったり考えたりしたことを、少しでも残しておきたくてこれを書いたので、読むに耐えない散らかり具合で申し訳ない。
もし少しでも観る可能性があればこの戯曲の面白さを真っ白な状態で味わって欲しいし、がっつりネタバレしているので下記は読まないことを推奨します。
※以下よりネタバレ有り
・警察署での取り調べから始まる前半は、軽妙で知的な言葉遊びの様に緩やかにスタートする。この辺りのフラットさや言葉の応酬がマクドナーっぽくて好きだった。それぞれのキャラの性格や物語に置けるスタンスが見えるし、この後の展開に対して、この戯曲の持つブラックユーモアの種類や雰囲気も予期出来た。
・主人公カトゥリアンの書いた400の物語の内、幾つかが語られ、その物語とそっくりの事件が起きた事を知らされる。どの物語も、クソみたいなこの世界そのものの様で、残酷で救いがなく、グリム童話を想起した。
物語の中で物語が語られ、その物語が人にどんな影響を与えるか、どう批評されるか、作り手の苦悩、物語が語られる意義など、全編を通して物語に纏わる物語であり、マクドナーが『ピローマン』という戯曲を通して私たちに何を投げかけているのかに思いを馳せずにはいられなかった。
この戯曲のもつ"凄み"みたいなものが、マクドナーの創作に対する覚悟なのだろうか、と思うとその熱さに驚く。全部燃やして灰にする気なのか?と思う程、暗くて痛い。なのに観終わった後に温かい気持ちでいっぱいだった。
聞こえの良いことや優しい嘘なら幾らでも吐けるのに、マクドナーは逃げないんだなって思った。捻くれてはいるけれど。どん底まで一緒に寄り添ってくれている気持ちになった。
凄い戯曲だ。
・カトゥリアンと似た境遇を持ち世間を憎みながらも、子供たちを救おうと警察官になったアリエルのキャラクターも深みがあって良い。
似た境遇や背景があっても"善悪を選ぶのは自分自身だ"と単純にキャラを善悪で分けてしまう作品もあるが、本作はそこを分断しきっておらず、アリエルが抱え続けている問題や、警察側も完全な善ではなく寧ろ善悪の共存する複雑な人間というものが描かれていて良かった。
トゥポルスキ刑事もベテランならではの適当さや賢さに加えて、自身の愚かさも理解しており、自分自身や体制や世の中を少し諦めてはいても、その中で最善を探っている様な感じがしてキャラ設定が絶妙だった。
・本作の魅力の1つとして、カトゥリアンとミハエルの兄弟の関係性とセリフの掛け合いの凄まじさがあると思う。
劇中では白痴や知恵遅れなどと酷い言葉を用いて表現されるミハエルだが、そのミハエルの生い立ちと純粋さ、そして時折ゾッとする程に真理を突いてくる賢さ。
先程も少し言及したが、本作のミハエルとイニシェリン島のバリコ演じるドミニクってとても似ていると思った。
自分とは違う人を軽視し、愚かだとレッテルを貼ったり見下したり、蔑み、差別する本当の愚か者たちがこの世の中には残念ながら沢山いる。
マクドナーはミハエルやドミニクを通して我々の心の中の無意識な残虐性や愚かさを引き摺り出してくるし、彼等に対してマクドナーなりの敬意を表した結末を用意したんだと感じた。
・弟の芸術的才能を開花させる為の糧として虐待を受けながら生かされ、その悲劇的な成果として弟が得た才能から生まれた物語を受け取る事によって、学んだり喜びを見出してきた兄ミハエル。弟に命を救われ、学校へ通い、今までよりも"普通"の生活を送り、勉強したり外の世界と関わることで、ミハエルは自分や弟が受けた虐待がどれだけ酷い事なのか、それが今なお、どれだけ自分たちに影響を与えてしまっているのかを思い知ってしまったのかも知れないなと思った。
・どんなに悲惨な物語でも、物語を語ることや受け取ることと、実際に行動して感じることには大きな違いがあるという事も教訓になっていて良かった。物語を物語のままにとどめて、残し続けることには意義があるし、物語よりも現実の方が如何に恐ろしいかも感じる事ができる。
・サラッと2回ほど描かれていたが、自分の書いた物語の中で受け手が何をどう受け取ったかによって、その受け手の抱えているものを推察してしまうカトゥリアンの描写も、書き手と受け手の関係性や物語の持つ自由や効能を端的に感じさせてくれて良かった。
また、それぞれのキャラが自分の人生を語ったり物語を語ることでその人たちがどんな人間か分かるくらいに物語の内容や語り方に違いを感じた点も面白かった。こういった細かな部分もマクドナーの遊びが効いているし、物語の力を信じてるんだなと感じる事ができた。
・兎に角起きている事も話も残酷なのに、人間愛と兄弟愛がバシバシと伝わってきたのが良かった。マクドナーがイギリス国籍のアイルランド人なだけあって、イギリスっぽさだけでなくアイルランドなどの北欧っぽい、より冷たいのに激しい感じもあって。
・ミハエルの行動についての推察あれこれ。ミハエルのことを思うと本当に心が掻き乱れるし、色々考えてしまう。
ミハエルは弟の書く物語が大好きで、善悪の一般的な境界がまだ分からない故に純心から物語通りのことを試してみてしまう。
そしてその通りに物語の教訓をその身を持って学んでいる。
物語を元ネタとした3つの犯罪の内、最後の1つを明かさなかったのは幾つか理由があるのではと思った。(上手く言語化出来ないけど)
既に2つの物語を試し、弟の描く世界が全然楽しくないことを知ったミハエルは弟が1番駄作だと思っている自分の1番好きな物語を実行に移す。
その事で"緑の豚"の喜ぶ姿をみて、その物語が1番好きな理由や、今までの2つを行動に移したことの恐ろしさを本当の意味で理解してしまった為、自ら警察に捕まる様に行動したのではないだろうか。
そしてこれから起きることや、自分が弟の物語を通して得たものを弟に遺すように、立ち回っているのではないか。ミハエルはどこか何もわかっていないようで、時折り全て分かっているかの様な言動をする。
だからこそ3つ目の物語は最も残酷な物語を実行したと嘘を吐き、カトゥリアンの罪悪感を軽くしようとしたのではないかと思った。
ミハエルは結局、ミハエル自身の人生で、兄弟の悲劇の物語を体現し、最後に弟の書くどんな物語よりも素晴らしい物語を自らの血で描いて死んでいく様にみえた。
ある種ミハエルの死はミハエル自身が描いた物語通りだとも捉えられるし、大人のピローマンを呼んだのは彼自身だったのかなと思った。
・マクドナーって自死に関しては否定というよりも寧ろ救いの様な立ち位置で描いている事が多いんだなと私は解釈した。天国を確証したりはしないけど、地獄から脱する手段の1つとして描いている気がする。他人の善悪に対する考えとか宗教観なんてどうでもいいから、兎に角その人間の選択を尊重している感じ。マクドナーがどこかで言及したりインタビューかなんか答えてないかな。調べよう。
・ミハエルの名前について。カトゥリアンの名前が変わった親がつけた名前と言及されていたシーンがあったが、ミハエルって普通、と思ったはいいものの、よく考えたら大天使ミカエルが由来だろうしさ。ミカエルって"人間との連絡係である"とか"地獄との戦いの任に就いた"とか、物語を観た後であの親のしたことと合わせて考えてみると、マジで皮肉過ぎる。怖いよ。
・物語のラスト、カトゥリアンが死の淵に考えた物語のメモ書き。
大好きな兄であるミハエルを救い、ミハエルの姿を通して自分自身を赦すような物語を思い付いたカトゥリアンの最期は、目にした悲惨なだけの現実とは違う解釈の出来る、優しくて美しいものだった。
特に"何もかもそのままにしておく方がいい"と自分の人生に対して言えること。
しかもあの状況で。
あまりにもブラックユーモアが過ぎるよ!
でも素晴らしい。
自分たちの経験が例え地獄の様な悲惨なことであっても、自分の才能の肥やし、誰かの幸福の糧になる。その体験や感情を語ること、創作として放出し物語にのせて語ることに情熱を注ぎ、ただ物語を書いていられれば良いし、例え自分が死んでも物語が残る事が希望であるかの様に、生きることより遺すことを選んだカトゥリアン。
何というか、クリエイターの業であり情念というか、私たちが普段簡単に消費している誰かの創作物って、本当にクリエイターにとっては命懸けであり全てなんだなと思ったし、マクドナーもそんな思いでこれらの作品を残しているのかなと思ったら、こっちまで熱くなっちゃうよ。
本当、カトゥリアンの生き様は余りにも美しかった。
10/11 2回目鑑賞(バルコニー席)
いやね、書いている途中でまた観たくなっちゃって行きました。センターステージだから色々な角度から観たいと思えたし、チケット代も安いので思い切れる価格に抑えてくださってるんだろうなと思うと、本当にありがたいです。
・結局ピローマンって何って、ミハエルでありカトゥリアンだったのかな。初見で観た時はカトゥリアン=ピローマンと受け取ったのだけれど。
2回目を観てみると、ミハエルとカトゥリアンどちらもピローマンだし、2人で1つだなと思った。3回目があるので解釈が変わるか楽しみ。
※10/8に観てすぐに終盤の日付で追いチケをしたが、時間が空いて急遽その週末にもう一度観たので、この部分を書いた時点では2回目鑑賞済み。
・初日と演出が変わっている所がすでにあって驚いた。ラストのシーン。ミハエルが出てくる場面がカトゥリアンの語りで終わっていた。(バルコニーだから立ち位置的に観れなかった?とも思ったけど、声がミハエルじゃなかったから多分出てこなかったはず?今の演出がどうかによっては記憶違いかも?)
戯曲は一応ミハエルが出る流れで書いてあったので敢えての変更が既に加えられていて、まだまだ変わっていくんだと思うと凄い。
個人的にはあのミハエルの声色で、あの優しくて力強い顔で、まるで何でもないことみたいに"じゃあやっぱり〜"ってあのセリフを聞いた時に更に涙腺が崩壊したし、お気に入りのシーンだったので悲しい気持ちが強い。
変更後の意図もわかるし、カトゥリアン自身の救済として彼に語らせるのもいいので、何とも言えないが。やっぱりミハエルのあの姿と言葉をカトゥリアンが最後に浮かべたんだろうなと思うと凄く美しいから、ミハエルに会いたいだよぉぉぉ!
10/24 3回目鑑賞(Z席)
またしても衝動に駆られてZ席チャレンジ。
このクオリティの舞台がこんなお得に観れるなんて感謝しかないですね。
戯曲入りの方は完売だったそうですが、バックナンバーのマクドナー特集が販売していたので買ってしまった。後日ゆっくり読もう。
引き続き、感想乱文メモ↓
・舞台の左右で小道具が違うのが面白い。カトゥリアン側は色々な色に溢れてて温かい雰囲気で玩具やスケッチや沢山の本。
ミハエル側は色味がなく虐待を思わせるバールやら何やら不吉な工具があった。
そして1番端にノートが2冊。バケツの中に綺麗に立てかけられていた。もしかしたら、ミハエルもこのノートに物語や気持ちを書いていたのかな、このノートの切れ端をカトゥリアンへ差し込んだのかなと思うと胸が締め付けられた。
・カトゥリアンがミハエルの為にとった行動の動機も、その後の舞台でみた姿も、カトゥリアンは温かい心を持っているイメージが強いけど、お母さん一度起こすくだりで、切なくて絶望。まず力で反撃される可能性のある父に対して素早く静かに行動し、母に対しては一度悲しみや絶望を味合わせてから行動するという冷静さ。
あぁもう、カトゥリアンの方こそサイコパス的な素養が完全に育ってしまっているなって。
・カトゥリアンの職業が屠殺場での片付けっていうのもざわざわする。両親がいないなかで兄弟がどう生き延びてきたのか、元の家には住んでいないだろうし、死亡が確認されてなければ保険金などは無いだろうし。でもミハエルは現在も進行形で学校に通えているからカトゥリアンの稼ぎで暮らしているんだろうな。
カトゥリアンのことだから、ただ小説を書いていられれれば良かったのだろうし、その為に敢えて屠殺場を選んだのだろうと思う。
自ら行動している訳ではないが、動物たちが殺されていく音や鳴き声を聞きながら過ごす毎日は、自身の暗い創作の才能を開花させた幼少期の環境に近いのだろうな。
だからカトゥリアンにとっては"そんなにわるくない"環境。
・父と母の眠る"願いの井戸"の横におもちゃの子供ハウスと、女の子もコブタも数日生き延びられるであろう大量の食料を用意していたミハエルの計画性、とても手がこんでいて、サインも出来ない人間の出来ることではないと感じた。やっぱりミハエルは彼なりに学んで成長し、カトゥリアンが思う以上に知性が育っていたのだろうと思う。"願いの井戸"の横にいたと言うことは、そこで実行した時からカトゥリアンにとって分かりやすい場所を選んでいる訳で。カトゥリアンか、カトゥリアンから場所を伝えられたものが駆け付けることを見越して選んでると思うんだよね。しかも数日分の食料ともなると、緑のコブタの代わりに"小さなキリスト"を実行したと嘘を吐いたのも、咄嗟に選んだ物語ではなく3日後では死んでいると思われる女の子が、ちゃんと生き延びられるような日数分の食料を用意してるんですよミハエルは。
そんな事を思いながら観た3回目、目の前の純粋そうなミハエルが何処まで見通してたの?いつから何を思っていたの?って思って涙が止まらなかった。
・トゥポルスキ刑事、ドライで意外とあっさりカトゥリアンを処刑していて酷いなという印象もあるけど、観ればみるほど味わい深い人。
3回目では、この人は最後の展開まで紙飛行機をなげてるなって感じた。
「〜僕はいい作家だった」
「だった、って言ったね?」
「はい。だった、と言いました。」
のこのくだり!
終始言葉遊びしていた2人がさいごに
もうカトゥリアンが自分自身で「だった」と過去にしてしまっているね、という事をカトゥリアンに気付かせた、トゥポルスキなりの別れの言葉であり、あれがよっぽどカトゥリアンにとっては引き金だったのかも。
10秒も待たなかったのは酷いとも言えるが、恐怖を長引かせないのも粋だとも思える。結局あんな状態で人を処刑することに善し悪しもないもんね。
警察国家で刑事に登り詰めたトゥポルスキ。カトゥリアンの物語を殆ど読んだであろう文学への興味や教養もチラつく。アリエル同様にあまり明かさずとも、酒による暴力的虐待を受けた幼少期があり、息子もなくしている。結局主な登場人物の全員が小さい頃に虐待を受けていると思うと、本当にこんな世の中くそだなって、言いたくなっちゃうよ。
・初日から演出が変わったと思っていたラストのシーン、やっぱりミハエルが登場してセリフを言っていたので、もしかしたらトラブルでミハエルが出られなかったから成河さんの語りで終わらせたのかな?演出的変更なのか、前半が終わった後に急遽決まったトラブルの対応なのか、突然出られなくなったミハエルに代わって、成河さんの機転で物語風の語りになったのか...真相が分からないけどすっごく気になる!
でもやっぱりこのラストがすき。
ミハエルのあの明るく真っ直ぐな声!カトゥリアンの最期にミハエルのあの笑顔や言葉が頭の中で響いていたとしたら、それは少し救われる。
以上!!
長々と思いつくことを書いてしまったし、
そもそも見当違いというか、難しい戯曲なのでもっと賢ければ拾えたり考察とかをちゃんと出来たかも知れないが、やっぱり言葉にするのは難しいね。
もしここまで読んでくださってる人がいたら、本当にありがとう。
後半にまた1枚チケットを確保しているので、またその時に感じたことがあれば追記するかもしれない。
ピローマン、私にとっては忘れられない作品です。
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