そろそろ旅を始めようか
(※以下の文中、敬称略で失礼します)
”旅”という言葉を聞いて想起する何か。
英語で「旅」をさし示す単語は、ぱっと思いつくだけでも、”journey” “travel” “trip”と3つもある。
日常でも耳にすることの多いそれぞれの単語が示すニュアンスは、たとえば好きな曲の歌詞を媒介として、それぞれに異なる感情を呼び起こす。
■ journey
長く、しばしば困難な旅を指すことが多いそうだ。
その定義の背後に、成長や変化を伴う過程が暗示されたり、心の旅や人生の旅など、内面的な旅をも意味することがある。
■ travel
一般的な移動を広く指すそうだ。
日常的な移動から、異国への冒険まで、そのすべてを包含する。
■ trip
短期間の旅や特定の目的地への小旅行を意味することが多いそうだ。
前の2つに比べて、軽やかで楽しい響きがあるようにも感じられる。
蛇足だらけの書き出しであることは承知の上で。
自分が、ときに傍観者として、ときに当事者として、この約1年見てきた「旅」がどのように心に残ったのか、少し文章にして書き残しておきたかった。
たぶんどこにもたどり着きそうにない文章を書き始めた理由を、あえて探すのであれば、そんなところだろうか?
2023年8月5日 お台場(tipToe.)
tipToe.が2024年6月をもって、2期の活動が終了すること、そしてグループの活動にもいったん終止符を打たれることがアナウンスされたのは、翌日にTIFへの出演を控えた2023年8月4日夜のことだった。
そして翌8月5日。
フジテレビ社屋前のDREAM STAGEで初披露されたのが、『シンガーソングトラベラー』だった。
9月にはじまった全国ツアーを経て、ほどなくこの曲は2期tipToe.を代表する、”2期tipToe.だからこその到達点”(本間翔太/瀬名航 Xスペース配信より)となった。
MV冒頭に収められている、宮園ゆうかの「全力で楽しんで行くぞ!」というシャウトは、全国各地を巡ってきた彼女たちを迎えたツアーファイナル ー 渋谷duo exchangeで、感情をほとばしらせた瞬間をとらえたものだった。
もともと3年に限定された活動期間。
最後の1年を突っ走っていくことを宣言するファンファーレでもあると同時に、残りの数ヶ月の道のりで、一歩一歩あゆみを踏みしめていくごとに、旅の終結を自らたぐり寄せていくことを、はっきりと示すものだった。
2024年1月21日 恵比寿(ukka)
旅を終わらせる覚悟もあれば、また旅に出る覚悟もある。
唐突にukkaの話に移る。
2022年11月に念願のメジャーデビューを果たした後、「音楽紀行 ~ 人生/ストーリー =旅 ~ 」というテーマを楽曲とパフォーマンスの主軸に置いて活動してきたukkaは、それから1年ちょっと経った2023年12月の川瀬あやめ卒業をもって、新たな分岐路に向かうことになった。
2023年を締めくくる6人体制のゴール、と、2024年の幕を開ける7人体制のスタートを明確に区切ったのは『つなぐ』だった。
旅が一番楽しいのはいつだろうか。計画を練るときだろうか。
それとも、帰宅して旅先の写真を眺めるときだろうか。
次のライブ日程とライブ会場への行き方を調べるとき。
通勤の電車でひとり、ぼんやりとした目でGoogleマップをみつめながら、どの旅程にしようか、天気はどうだろうか、昼ご飯・晩ご飯で何か手軽に食べられる名物はあるだろうか? 現実のはざま、ふと空想トラベルを挟み込む瞬間。
ukka6人体制最後のアルバム『音楽紀行』のジャケットには、メンバーの横に思わせぶりなドアがひとつ置かれている。
向こうを覗き込もうとする表情は、これから旅に出ようというようにも、次の目的地に一気にワープしようとするようにも読み取れる。
ライブから帰宅したあと。
取り急ぎ、洗濯機に来た服を放り込み、モバイルバッテリーもスマホも電気シェーバーもプラグに突き刺して、ソファに寝転びながらスマホの中の写真を見返してみる。
大体において、ほとんどの写真が、飲み会で調子に乗って撮られた大量の写真だけれど、ちょっと前に経験した「現実感」が、むしろステージの熱気・知人の何気ない笑顔、初めてみた街の風景、そういう記憶をキラキラなものに昇華して思い出させてくれる。
2024年1月21日、新体制のukkaは、3月からの全国9公演のツアーに出ることを発表した。
”The Journey Begins Tour 2024 Spring ~HOP・STEP・JUMP!!”
ukkaなりの「旅のはじめかた」だった。
人生で一度も行ったこともない「福岡」「仙台」という都市名を聞きながら、中学2年生の若菜こはるは、ただただニコニコしていた。
口元の変化で喜怒哀楽をあらわすことが得意な中学3年生の宮沢友は、ライブ終わりの放心状態もあってか、への字に口を結んでいた。
9公演の旅路、すべてを追ってみようか。
その果ての終着地を見てみようか。
そんな風に心に決めたのは、たぶんそんな二人の表情を見てのものだった。
2024年3月22日 渋谷(tipToe.)
tipToe.の話に戻ろう。
新年が明けて、いよいよ活動期間の終了としてアナウンスされた6月まで、tipToe.の活動期間は半年弱を残すのみになった。
1月から2月にかけてのtipToe.は、メンバーの海外短期留学や、一時的なコンディション整備の期間などもあり、5人揃ってステージに立つ回数はそれほど多くなかった。
2月末の台湾遠征は、2期tipToe.初の海外でのライブ、かつフルメンバーでのパフォーマンスということもあって、この時期の活動のひとつのハイライトになったようだ。
特に、日本のステージと比べて低く、観客と変わらない目線だったこともあって、日本でのライブと同じように一体感を強く感じられる公演だったようだ。
ライブの合間、2月の台湾を彩る、無数のランタンの下を歩いたメンバーたちは、旅先で何を思い、そして何を願ったのだろうか?
3月中旬から、また5人体制でフルスロットルでの疾走が始まった。
3月22日、渋谷VEATSで行われた5thワンマンライブで、ラストライブが7月21日でホールワンマンで行われること、そして6月24日に、2期tipToe.の集大成となるワンマンライブを行うことが発表された。
「夜明け前 ("before the last dawn")」と名付けられたこのライブで初披露されたのが、『blue eye trip』だった。
tipToe.プロデューサーの本間翔太によると、この曲は、大学生になった主人公が、姉の運転する車で、明け方の湾岸線を東京から横浜にドライブしている情景を描いているのだという。
活動期間の「3年」を過去のものとして、振り返っていく車のなかから目に映る風景は、刹那にとどまる「旅」が描かれている。
ただただ”青春”をやり過ごしてもなお、今も過去も、やっぱりヒリヒリ乾いているのは変わらないんだという情景がそこにはあった。
2024年4月27日 福岡(ukka)
ukkaの”journey”を「全部」追いかけよう、そう決めてから3ヶ月。
それはすなわち、ほかの予定をかなぐり捨てることでもある。
4月27日、ukka春ツアー4公演目の福岡は、tipToe.の6thワンマン(大阪)と同日でもあった。
このツアーでは、メンバーが公演ごと順繰りに『カノープス』をソロで歌うブロックが設けられていた。
福岡公演では、茜空が、優しく丁寧な歌声を響かせていた。
茜空が、アイドルの道に一歩踏み出してから、ちょうど9年になる。
中学生・高校生・大学生…自分の学生時代を通じて、いろいろなアイドルの楽曲に出会い、パフォーマンスに接して、ときに別グループの同世代のメンバーと友人となった。
そして、いくつものグループ、何人ものアイドルの友人を見送ってきた。
21歳になった茜空は、また”いま”、自分たちukkaなりの「青春」を表現していると、折に触れて語っている。
”青春” "アオハル”、追体験するほどには、残念ながら自分は若くはない自覚を持っている。
でも、きっと「観察者」として、彼女たちの「青春」にいつのまにか取り込まれているという実感は否定できない。
アイドル活動と学生生活を両立させながら、9年間の長きを過ごした茜空だからこそ、人一倍、その努力と情熱がひしひしと伝わってくるのかもしれない。
そして、21歳のいまだから、彼女が体現する「青春」像が、見ているこちらで結ばれていくような気がするのかもしれない。
そんなことを思ったのは、新メンバーの2人が入ってきて、改めて中学生・高校生の生活を配信などでうかがい知ることになったからかもしれない。
朝早くから学校に行き、授業を受けた後は、すぐにレッスンや撮影、ライブのリハーサルへと向かう。そんなスケジュールをこなす中、友人と過ごす時間や勉強に集中する時間は当然に限られているのに、それは当然のこととして、笑顔でステージに立ち続ける。
その裏にはきっとたくさんの苦労や葛藤があったのだろうというのは想像に難くない。テストとライブが重なった時の焦りや、友達との時間を犠牲にして練習に励んだ夜…。
もしかすると、それらの苦労も楽しみも、あとから振り返ってより自覚的になるのかもしれない。
去年の秋以降、自分のことを、文字にして多く語らなくなった茜空。
そこに、「青春を擬態している」自覚があるから、まで想像するのは考えすぎだろうか?
2024年6月5日 渋谷(tipToe.)
tipToe.のラストライブが、当初アナウンスの6月ではなく、7月に延びたことで、夏の入口を抜けて少しだけ奥まで入ったところが、旅の終着点と見定められた。
3年生の生活は目まぐるしい。やり残したことはないか。会いたい人は残らず会ったか。
プロデューサーの本間翔太は、メンバーそれぞれに、残り数ヶ月で個人でステージに立ってやりたい企画や、一緒に対バンライブをしたいグループを尋ねたそうだ。
メンバーの未波あいりは、リストの中にukkaの名前も入れたそうだ、とこの時期に耳打ちしてくれた。
そして、tipToe.最後のフルアルバムも、6月に発売されることが発表された。
関東近郊を中心に行われた、リリースイベントは、ショッピングモール・CD売場の横のインストアイベント・そして渋谷ではタワーレコードのインストアライブスタジオ”CutUP”で行われた。
盛り上がりのあまり、リリイベにしては珍しく、ダブルアンコールまで起こったこのライブに、暗がりの中ひっそりと後方エリアに茜空が立っていたという。
何度も、自身のリリイベでステージに立ったこの会場で、高校生の頃は、来る道すがらでスマホを落として、大泣きしたという(ukka公式ブログ 2019-09-11『スマホを落としただけなのに(茜空)』)この会場で、久しぶりに間近で見る”tipToe.の青春”を彼女は、どのように見たのだろう。
2024年6月22日 横浜(ukka / tipToe.)
結果的に、ukkaと2期tipToe.は、同じステージであいまみえることはなかった。
tipToe.の主催フェス「てぃっぷフェス」が横浜1000 clubで行われた6月22日、ここからほど近い横浜ベイホールで、ukkaの春ツアーはセミファイナルを迎えていた。
ukkaのライブは、いま振り返ると、春ツアー9公演中で、この横浜公演が最高潮の盛り上がり・到達点だったと思う。
ステージとフロアとの熱量の等価交換は、折からの湿気もあいまって、会場の視界を曇らんとするテンションにまで達していた。
ライブ終盤、MCで茜空がマイクを持った。
その立ち姿には、一点の曇りもなかった。
そして、いつになく、自分たちの進むべき方向を信じていこうとする確信に満ちていた。
ちょうどその時間帯、てぃっぷフェスでは、MAPAがステージに立っていたという。
tipToe.への送別を込めて、『アイドルを辞める日』という曲を歌っていた。
7月に入ってから行われた、tipToe.のメンバー柚月りんのソロイベント「月の下で待ち合わせ。」
自身が「tipToe.メンバーとしてやりたいこと」として手を上げたことで実現したものだった。
ライブを締めくくる曲として、柚月りんがひとりで歌い上げたのが、この『アイドルを辞める日』だった。
その直前のMCで「アイドルとしての柚月りんを、燃やし尽くして、このステージに置いていく」と言い切った彼女なりの、次の旅に出ていこうという宣言だった。
2024年6月24日 新宿(tipToe.)
そして、2期tipToe.は、2期としての集大成となるライブを、念願のZEPPのステージでむかえた。
終着点が近づくとともに、毎ステージで、(おそらく意識的に)これまでよりも一層の笑顔をかがやかせていた宮園ゆうかが、『シンガーソングトラベラー』のソロパートで、涙で声を詰まらせる。
光に集まってくる虫のように、あるいは灯台に照らされて進路を変えるように、tipToe.のライブでは、かわるがわる推しパートでオタクたちが、わらわらと秩序だって最前に集まってくる。
推しの異変に気づいたオタクたちが、喉を震わせながら、続くパートを引き継いだ。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
推しのパートが終わると、集まってきたオタクたちは、すごすごと後方に下がる。
肩がぶつからないように、足を踏んだりしないように、たくみに他のオタクをよけながら。
そんな背中ごしに、メンバー全員が歌う詞が投げかけられる。
そんな風景は、この1年、ずっとずっと愛おしかったな。
2024年6月28日 目黒
いつものように、行きつく先を決めないまま、ふらふらと長々と雑文を垂れ流しながら、書いている間、どうしても頭を離れなかったこと。
およそここに残すのは相応しくないことは承知だけれど、でもどこかに残したくて、そして残すとしたら、ここしか思いつかなくて。
その報せは、唐突に6月26日の朝、仲間のグループDMで伝えられた。
ツイッター草創期にひょんな縁で知り合い、約15年、ずっとツイ廃のまま変わらなかった彼のツイートを見なかった日は一日もなかった。
15年前、自分がまだ30代のころ、イキって高級フレンチやら朝イチの大盛りの海鮮丼やらを食べに行って、その写真をあげれば、時間帯に関係なくすぐにブーイングを意味する無言「…」リプが返ってきたし、40代になって海外でのさまざまな苦労を聞いてくれたのも、いくつか年下の彼だった。
シニカルだけれどユーモアに包まれている短文の積み上げは、会社でも家族でもない、変な存在感を示してくれていた。
青い時代なんて、年齢柄とっくに過ぎているはずなのに、時にはちょっとした愚痴の延長に、自分でも言葉にしたことのない大きな夢が口を出たようなこともあった。
彼の最後のポスト(ツイート)は、6月23日だった。
告別式の日は、朝から雨が降り続いていた。
出棺の前、棺のふたをあけて列席者が花をそっと添える時間。
会場のスタッフがそっと列席者に花を渡しながら言った。
「故人の耳はまだ聞こえているともいいます、何か最後にかけてあげる言葉があれば、ぜひかけてあげてください」
彼との会話は、めまいもするくらいの膨大な文字列だった。
そのくせ、会って話した回数は、10年できっと30回にも満たないだろう。
彼の存在をあらわすもの、それが目の前の肉体だということがやはりにわかには飲み込めなかった。
自分は言葉を発することはできなかった。
棺が車に運びこまれて、出棺の時間となった。
地面を叩きつける雨音がいっそう激しくなり、誰もが何も言葉を口にしない中、ゆるくスティービーワンダーの曲が流れた。
音楽が介在してくれる思い出は、言葉のそれとはまた別だ。
45歳の短い生涯を終えた彼が、決してこの曲を送別の曲にあらかじめ用意していたとは思えない。
最後に、彼に伝えた。
「またいつか、どこかで会おう。それまでは忘れずに待っていて欲しい」
「しばしのお別れは、あれで良かったのかい?」
2024年7月21日 中野(tipToe.)
『シンガーソングトラベラー』は、こんな一節で締めくくられる。
『LIGHHOUSE』(灯台)というアルバムを最後の置き土産にして、この文章を書いているちょうど1週間後、7月21日に、tipToe.はその灯火をそっと消していこうとしている。
そして、その旅は終わることはなく、また新たな始まりを意味する。
ここまでの旅を共にしてくださった皆さんに、心からの感謝を込めて。
そして、これからも素晴らしい旅が続きますように。
BON VOYAGE !