ある日、突然他人事ではなくなった水害の話(流域治水①)
8月5日、私の住む滋賀県長浜市を流れる高時川が大雨の影響で氾濫しました。
気象庁によると、長浜市余呉町柳ケ瀬では、5日午前10時までの24時間で雨量は164・5㍉。レーダー解析では、5日午前6時半までの1時間に約90㍉の雨が長浜市付近で降ったとみられるといいます。
同市木之本町に暮らす私も、猛烈な雨に恐怖を感じていました。雨量レーダーや、付近の河川のライブカメラを見ながら、友人と情報交換をしたり、知人の安否を気にしたりして不安な一日を過ごしました。
翌日、ツイッターを開くと「朝日新聞 映像報道部」が写真付きで「大雨の影響で、滋賀県長浜市の高時川が氾濫し、田んぼや河川敷が水没していました。午前9時47分撮影。」と投稿したツイートが約3千件の「いいね」、約1400件リツイートされ、話題になっていることを知りました。
中でも、同記事を引用し「これは見事な治水。絶対にあふれない治水はあり得ないということが昨今の災害で明らかになったこと。その前提の上でいかに人の命を守るか、いかに失う財産を減らすか、というのが流域治水の考え方。なのでこの記事は『霞堤が機能して、町の水没を防ぎました!』と報道しないといけません。」と書かれた投稿は、本記事よりも多い3・9万件の「いいね」を集め、1・6万件リツイートされていました。
「見事な治水」。その言葉に私は非常に複雑な気持ちになりました。でもなぜ、そんな感情を抱くのか自分でも不思議でした。
「流域治水」という言葉には、むしろ好印象を持っていました。2014年、滋賀県は全国ではじめての「流域治水推進条例」を制定しました。
これは、六つのダム建設計画を凍結、または中止させた嘉田由紀子元知事の肝煎りの政策で、河川内部だけでなく、人が暮らす流域での土地利用や建物の建て方、避難の仕方などを一体として予防的に備えをして、ダム以外の方法で水害を最小化する方針を示した内容でした。
当時、大津総局所属の記者として、丹生ダム建設予定地だった高時川源流の山に群生するトチノキの巨木林を取材していた私は、その方針を好意的に受け止めました。
ではなぜ、今の私はこのツイートに心が乱れるのか。「霞堤」として、水没した写真に写るのは、泥が入り込んだ知人の田んぼでした。
(堀江昌史)
2022年8月29日、朝日新聞滋賀県版掲載
続きはこちら↓