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雨乃日珈琲店にたどり着くまで

 きのうの韓国・ソウル近郊は、朝から雲一つない青空が広がっていた。「こんな日に一日中家にいたらもったいない」と、身体が勝手に動き出してしまう。それくらいさわやかな秋の土曜日に、私はひょんなことから、ソウルの弘大(ホンデ)にある「雨乃日珈琲店」というカフェを訪ねることになった。

 きっかけは、家族で公園を散歩中、夫宛てにかかってきた1本の電話だった。夫の古くからの友人で、韓国で長く音楽活動をしているイギリス人のギタリストが、久しぶりに連絡をくれたのだ。彼と最後に会ったのは、私たちが結婚して間もない頃、3年近く前のことだった。

 イギリスで幼い頃からテコンドーと任天堂のゲーム、そしてギターに親しんできたという彼は、フランスや日本の漫画も大好きで、中でも手塚治虫の『火の鳥』が好きだと英語で熱弁していた。

 別れ際、彼は私たちに『火の鳥』の韓国語翻訳版を全巻貸してくれたのだが、それは昔、韓国の書店で、イギリスよりも安価な値段で売られている『火の鳥』を見つけて驚き、「韓国語が読めなくてもいいから手元に置いておきたい」と購入したという、彼のコレクションだった。

 そんな大切な漫画を返却するべく、私たちは近々、ソウルの弘大辺りで再会しようと約束をした。思い立ったらすぐ動きたいタイプの夫は、この週末に会いたかったようだが、残念ながら彼に先約があって叶わなかった。

 時はまだ15時。空は高く、頬をなでる風はさわやかで、まだまだ家に帰りたくないと身体が訴えかけてくる。夫も同じ気持ちだったのだろう。「今から弘大まで行ってみる?」と言うではないか。運転嫌いの彼がそんな提案をするなんて、1年に何度もあるもんじゃない。これは決して逃してはならないチャンスだと思い、私はすかさず言った。「じゃあ、雨乃日珈琲店に行こう」と。

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 今から8年前、韓国・ソウルの延世大学語学堂に留学していた時、私は大学前に広がる学生街、新村(シンチョン)に住んでいた。最初の1か月お世話になったのは、飲み屋街の一角にあった日本人専用のゲストハウス。その次に住んだのが、新村の外れにある、韓国人のイモ(おばさん)が経営する1日2食付きのワンルーム型下宿だった。

 「雨乃日珈琲店」は、その下宿から歩いてすぐの場所にあった。新村のすぐ隣、芸術大学やライブハウス、おしゃれな飲食店などが集う若者の街・弘大(ホンデ)の一角にあり、木の板に漢字で書かれた店の名が静かに存在感を放っている、ギャラリーのような風情のカフェだった。

 当時、弘大まで歩いて行く途中、何度も店の前を通っていたし、「いつか行ってみたい」と思いを募らせていたのだが、結局一度も足を運べないまま日本に帰国。その後、旅行で弘大を訪れた時も、時間切れで立ち寄ることができなかった。

 ところが、それから数年後の2017年春。農業体験取材のため韓国へ経つ直前に、思いもよらぬ形で、この「雨乃日珈琲店」と再会することになったのである。

 その時私は、親しい二胡弾きのお姉さんとその子どもたちと一緒に、島根・鳥取・岡山をめぐる旅の途中だった。島根県出雲市でお姉さんの友達の日韓夫婦と再会し、鳥取県智頭町では『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』の著者・渡邉格さんが営む、自家製天然酵母パンとクラフトビールが味わえる店「タルマーリー」を訪れていた。

 その旅最後の夜に泊まった岡山のゲストハウス「あわくら温泉 元湯」で、偶然目にしたのである。“移住”がテーマのフリーマガジン「hinagata」に載っていた、「雨乃日珈琲店」を営む日本人女性のインタビューを。

 読んで初めて知ったのだが、なんとこのカフェは、日本人のご夫婦が2010年から経営していたのだった。先に韓国で暮らしていたライターである夫・清水博之さんとの結婚を機に、石川県金沢市から韓国に移住したという妻の池多亜沙子さんは、書家としても活動されている方だった。

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▲ゲストハウス宿泊時に撮影していた「hinagata」の記事の一部。ライフ・ジャーナルマガジン「雛形」には、インタビューのその後の話が掲載されていた。https://www.hinagata-mag.com/report/18067

 2017年の終わりに国際結婚をし韓国へ移住後、妊娠・出産・育児でなかなか自由に動けなかったものの、一度だけ「雨乃日珈琲店」の前まで行けたことがあった。息子を保育園に入れてしばらくたった頃、所用で弘大を訪れた帰りに30分だけ時間があり、今だとばかりに意気込んで「雨乃日珈琲店」へ向かったのだ。

 ところが扉は閉まっていて、平日は15時から、週末は13時からの営業だと書いてあった。16時には保育園に行かねばならない私は、がっくりと肩を落とし家路についた。でも、その足取りはとても軽かった。それはまるで、久々の旧友に会えた帰り道のようでもあった。

 なぜなら、「雨乃日珈琲店」は昔と何も変わっておらず、あの頃と同じ場所で、同じ風情で、私の前にたたずんでいたからだ。新しい店ができてはすぐに無くなっていく変化の激しいこの街で、「変わらずそこにある」ということの尊さよ。ありがとう、ありがとう、と胸がいっぱいになった。

 韓国に移住して以来、自分の周りで「変わってしまったこと」があまりにも多すぎて、私は知らぬまに傷つき、寂しかったのかもしれない。

 街が少しずつ変わってしまうということは、そこで過ごした記憶を呼び覚ますものが失われてしまうということでもある。韓国にはそれが多すぎる。好きだった店が無くなり、好きだった風景が変わり、おまけに私は好きだった人たちとも距離ができてしまった。

 楽しかったはずの思い出が、霞んでは消えていく。だからこそ、今の自分には変わらないでいてくれるものが必要だったのだと、「雨乃日珈琲店」の前に立って気づいたのだった。

 そして、きのう。満を持して訪れた「雨乃日珈琲店」には、池多さんとパートナーの清水さんがいらっしゃり、ほんの少しだけお話しをさせていただくことができた。

 車の中で熟睡していた息子が店に入ったとたん起きてしまい、いつ大声を出すかとヒヤヒヤしながらだったので、ものの30分も滞在できなかったけれど、日本のドリップコーヒーと手作りのブルーベリーのデザートをいただき、束の間、日本に帰ったかのような時間を過ごさせていただいた。

 この店に来てみたかった理由はもう1つあった。在韓日本人や在日韓国人、長年韓国と関わってきた方たちが発行している雑誌『中くらいの友だち』(韓くに手帖舎発行)を購入したかったのだ。

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 ネット上には様々な記事があふれているけれど、韓国で暮らす方や、韓国に関わる活動をされている方たちのリアルな声を本の形にまとめたものは少ない。

 また、コロナ流行以前から、海外での初の子育てにより、人との交流がほとんどできずにきた私は、本という形を通してでも、同じ興味や関心を持つ人と出会ってみたかった。だからどうしても、今、手にとって読んでみたかったのだ。きのう購入したばかりなのでまだ未読だが、清水さんも執筆されているということなので、じっくり読んでその時間を楽しみたいと思っている。

 イギリス人の友人からの電話がきっかけで、8年の時を経てやっとたどり着けた「雨乃日珈琲店」。変わりゆくものが多い韓国・ソウルの街角で、変わらずにあり続けるこの店は、2020年11月12日、10周年を迎えるそうである。

【参考】雨乃日珈琲店日本語ブログ 

▼フリーペーパーひきだしのnoteでは池多亜沙子さんの最近インタビューが読める


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