自分のために花束を
きのう、久しぶりに花を買った。
4年前に韓国移住して以来、初めてのことだった。
近所に洒落たお花屋さんなどないので、花を買うなんてもうずっと諦めていたのだけれど、なんだか急に、家に生花を飾りたくなったのだ。
週末、公園へ散歩に行く途中、初めて立ち寄った小さなマートで、切り花が売られているのを見つけたからかもしれない。
その数時間後。いつも行く大きなマートに立ち寄ったら、レジの前に、また切り花が置かれているのを見つけた。
これまで何度も訪れていたのに、花が売られていることに気づいたのは、きのうが初めてだった。
なんだか買わないといけない気がした。買うなら今だ、と思った。
たかが切り花。それも、500円もしない小さな花束なのに、大げさすぎるだろうか?
でも私には、「自分のために花束を買おう」と思えたことが、自分の中で何かが終わり、何かが始まる鐘の音のように聞こえてならなかった。
家に帰り、2歳の息子が寝静まってから、一人静かに花を飾った。素敵な花瓶などうちには1つもないので、仕方なく、ちょうど良い高さのビールグラスを引っ張り出してきて。
花を飾ったら、日本にいる母のことを思い出した。
母が人生で最も辛かっただろう時期に、毎月2回、玄関に生花を活けていたことを。その花たちに、私がどんなに癒されていたかということを。
朝目覚めたら、長い花の茎が1本ポキッと折れて、おじぎをしていた。折れたところをハサミで切って、その1本だけ、小さなガラスのコップに飾ることにした。
さっきまで下を向いていた花が、私を見上げていた。
家に花がある。ただそれだけのことなのに、今日は一日中、なんだかとても気持ちが良かった。
数日で散り、枯れてしまうとわかっていても、自分のために花束を買う。たったそれだけのことで、こんなにも心が華やぐのに、私はずいぶんそれを後回しにしてきたのだなあ。
これからは時々、自分のために花を飾ろう。
そして、花瓶も探しに行こう。
目を覚ませば花がある。
そんな朝が、今からとっても楽しみでならない。