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先生なのに学校のトイレでリスカした話

その日は、校内研修の日だった。
11月。
あと半年で教師を辞める、そんな折。

9月にはもう管理職から辞職を言い渡されていた。理由も「あなたは頑張ってないからねぇ」という、基準が曖昧すぎて「はぁ、そうですか」としか言えないもので、特にそれに対しては何も思っていなかった。

辞めるんだなぁ。
転職どうしよ。
また先生続けようかな。

そんなふうにぼんやり考えて2ヶ月経ち、11月に入った頃だった。

校内研修が行われたのは緊急のことだった。よくわたしをキツい言い回しで叱っていた先輩が、生徒にも同じことをして、生徒の保護者が校長室で激昂したのが事の始まり。

「研修のひとつもしないからこんな先生が現れるんですよ!」

激昂した保護者の鶴の一声で、校長は急遽研修を開いたのだった。
つまり、外に対する態度を示すための、ほとんど中身のない研修。
だからわたしも特にやる気もなく、しかし反抗する気もなく、流されるまま校長研修に参加することになった。

第1部はグループワークだった。
1年生の担任になったつもりで文化祭までの生徒の動かし方を考えよう!
よくあるテーマ。よくあるやり方。
グループワークしときゃなんでもいいとか、サボってるだけなのになぁとうっすら思った記憶がある。
机上で架空の生徒のことを動かすのはとても簡単で、つつがなく終わった。
そのときの校長のコメントはこうだった。

「文化祭にねぇ、参加したくない生徒もいますよね。なんていうかねぇ……暗い?(笑) そういう生徒がね。教室に馴染めなくていつまでもひとりでいる子がクラスに1人はいるもんです。でもそれ、ダメだよね! そんなんじゃ生きていけないし、だから先生が巻き込んであげないとねぇ……」

みし。

何かの音がした。
周りの同期と後輩は曖昧に笑っていた。
たぶんわたしも同じ顔をしていた。
そこから、その日は音が聞こえづらくなった。

校長の声を除いて。

第2部は正直何をしたのか覚えていない。
みし、みし。
"何か" の音がうるさくて、そのくせ校長の声だけ響いていた。
でもそれもいつものことだった。
耐えれば終わる。
あと30分、あと15分、あと……。

研修も終わりに近づいていた。
やっと解放されるな。
少しほっとしたそのときだった。

校長のありがたいお話が始まった。

「やっぱりね、何事もチャレンジなんですよ。今年ね、A先生が主任になったでしょ。あいつねぇ、最初嫌がったんですよ。だからね、僕ね、言ってやったんですよ! この意気地無し!って! ……そしたらね、あいつ、主任やります、やらせてくださいって言ってきたんですよぉ。ね、生徒と同じ。君たちもね、やれって言われたことは喜んで! ですよ。………………」

みし、みし、

あ、ダメだ、これ

この音って、

壊れるときの音だ。


研修が終わって、曖昧な笑顔を貼り付けて職員室に戻った。
テスト前で学校内に生徒はいない。
やけに静かだったのを覚えている。
曖昧な笑顔のまま同期と話して、曖昧な感じに席について、それから、ふと目に入った自分の席のハサミを持ってトイレに向かって、そのあとは、もう、想像通りだ。

つらくて腕を切ったわけじゃない。
嬉しそうにパワハラ自慢をする校長に、無意識に目立たない生徒を攻撃するその言葉に、罪悪感なく他人を貶めるその態度に、やるせなさと怒りがあふれてどうしようもなかったからだった。
叫んで物を壊せたらそうしていたと思う。
壊すかわりに自分を標的にした。
やるせなくて、どうしようもなく怒っていて、こんな人が先生をしていることが許せなくて、悲しくて、生徒のことを思うとまた怒りが湧いてきて、気づいたらもう腕は血まみれだった。
そして、そして何より。
わたしはこんな人が放った「がんばってないよね(笑)」の一言で教師を辞めるんだ。
怒りの残り滓みたいな悔しさが最後の最後にやってきて、力尽きて赤い腕をおろした。

やってしまった。
我に返ってそう思った。
こんなの先生失格だ。
生徒のためとかいう大義名分で学校内でこんなことしている自分は、物を教える立場じゃない。
死のう。
そう思った。


次の日、テスト1日目だった。
有り体に言えば死ねなかった。
それでも、テストの監督をしながらずっとベランダと屋上を眺めていた。いつにしよう。

職員室に戻って、死ねない体を引きずって仕方なく仕事をしていた。誰ともまともに口を聞けなかった。
そんなとき、職員室に生徒が尋ねてきた。
授業を持っているクラスの女の子2人だった。

「せんせ〜、勉強おしえて!」

えー? とか言いながら、力なく、曖昧に笑った。こんなわたしに今更教えることなんて……。そう思ったけど、断れないまま彼女たちの教室に強制連行された。

1時間は経ったころだろうか。
教えているうちに笑っているわたしがいた。
的はずれな答えを言う生徒、勉強しているはずなのに脱線していく話、今日の面白かったこと、最近の好きなこと、嫌だったこと、冬休みのこと。彼女たちは色んな話をしてくれた。それを聞いているうちに、知らず知らずに、笑っていたのだ。

あぁ、やっぱり、先生っていいな。
こんなキラキラを間近に見て、寄り添って、少ない力ではあるけど育つのを手助けできる。
好きだな、この仕事。
そう思った。
それと同時に、痛む腕をおさえて、絶望が消えないことも自覚した。

上手く言えないけれど、この事件があったから、わたしは転職先に学校を選ばなかった。
また絶望と向き合うのが怖かったのかもしれない。
絶望しても尚傷ついて生徒のために戦えばよかったのかもしれないけど、戦死するのが目に見えていた。

死ねなくてごめん。
いまでもそう思うことがある。
だけど、死ねない代わりに違う戦地でまた戦っている。
そこで自分を鍛えられたら、今度は死にに行くためじゃなくて、一緒に生きるために「先生」という職業を選びたい。

今は、それだけを思っている。


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