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ほっとくことも時には大事だと思った話
10月。
想定外の内定取り消しで無職になってひと月が経とうとしている。
わたしが1日ずっと家にいることがほとんどになったせいか
最近ふたりの娘が学校に行きたがらない時が多いのを感じる。
わたし自身が中三の時、突然のスケールアウト(聴力が落ちて全く聞こえなくなる)で卒業まで不登校になったことがあった。
だから学校に行けなくなるということに対しては、それなりに理解はあるつもりでいた。
なので自分が学校に行かなかった日々を考えて、
「休んだときに『ああ休んでよかった』と思えるくらい、何かを決めたり自分は何をするのが好きなのかを考えたりなどしてみよう。だらだらして寝てるだけなら、土日でもできるよ」と娘ふたりに話していた。
ところが、わたしは自分の職探しにいっぱいいっぱい。
早く就職をしないと、11月、12月が絶望的なのだ。
子どもが学校を休んでもハローワークに行ったり、面接に行ったり
家にいてもパソコンに張り付いて求人に応募したり履歴書を書いたりしている。
こんな状況で、積極的に娘たちと関われていないことに罪悪感があった。
コントで天井から落ちてくるタライのように、嫌なことがどんどん落ちてきて重なっていく中で、嫌なことをどんどん考えてしまう。
怒り、悲しみ、憎しみ...この世のすべてが敵に見えてしまう。
自分の姿を鏡で見たときに、思い描いていた自分とは雲泥の差。
自己嫌悪に拍車がかかる。
自分なんかいなければよかった、居てもいなくてもどちらでもいい
誰も私なんか——
こうなってはヤバイ。わたしの中で警報が鳴る。
とにかく自分を癒さなければ
やりたいと思った小さいことをやって、成功体験を重ねなければと思った。
いつしかそれが強迫観念になっていた。
ゆっくり作業したいとき、ウォーキングしたいとき、神社にいってお参りしたいと思ったとき
そんなときに限って、ふたりが「学校行きたくない!」と苦渋の顔で行き渋りする。
それがイライラのもと。物凄く、すーごくイライラした。
必死にどうにか自分をコントロールしたいときに、マイナスな感情を引き出しやがって、と。
下の娘に関しては
「想定外で休まれるのはほんと迷惑なんだよ!!」
と怒鳴ってしまったこともある。
自分のやりたいことなんかのために、なんと酷いことをしたのかと思う。
下の娘は今年高学年になったのだが、コミュニケーションの点で中学生の上の娘に比べると、なんとも説明ができないぼんやりとした違和感があった。
わたしと上の娘が掃除をしているとき
下の子は気にする様子もなくYouTubeを見ていたり、みんなでつまんでいたおかずを最後に終わらせたのに、皿を洗わなかったりなど
家族内のやりとりに関してこれは心象を損ねるよな、というようなことについて
「これはやってはいけないことだよ」と言うと
「なんで?なんでなんでなんで?」と矢継ぎ早に聞いてくる。
聞かなくても、相手がどんな思いをするのかを考えればわかると思うけど...。
最近は特にやりとりがスムーズにいかない印象が強くなってきた。
朝食を食べてのんびりテレビを見ている下の子に
「学校の用意、しなくていいの?」と声を掛けると、宙を見つめて固まってしまう。こうなると梃子でも動かない。
仕方がないのでわたしも半ば自棄に「欠席します」と担任に連絡する…と、こういうことがよくある。
比べることではないが、高学年としてはなんだかとても幼く感じる。
固まって宙をみてしまうのは、思春期になってきた自分の気持ちと、周りからの雑音(自分を責めているように感じてしまう)がせめぎあって、どうしていいか分からなくなっているからだろう。
ともかくも糸口が欲しく
後日学校の先生に相談すると、特別支援コーディネーターの先生が話を聞いてくれた。
担任の先生もいつもどういう感じで下の子とコミュニケーションをとっているのかを例として挙げてくれた。
やらないといけないこと・やってはいけないことなど、明確な決まりのある【学校】という場面のなか、下の子に対する接し方はとても参考になる。
「4年生頃までは特性がとても出ていた。今は落ち着いているし、勉強も本当によくできている。心配ならウィスクを受けますか」と言ってもらえ、ウィスクを受けさせることになった。
二週間後。
ウィスクの結果、下の娘はハイコンテクストのコミュニケーションや状況把握が苦手ということが分かった。
「手伝ってほしいな」
「周りが何やっているのかをちゃんと見て」 ではなく、やってほしいことは具体的な指示が望ましいことが分かった。
その週末。
掃除をするとき、彼女には片づけやすく整理しやすいキッチンをお願いしてみると、持ち前の集中力を最大限に発揮しびっくりするほどきれいに整理整頓してくれた…。
いつも使うたびに散らかしてしまう母なんかは、もう何も言えない。
ふと、彼女が3年生の時の自由研究を思い出した。
下書きとなる実験の観察ノートは出来ているのに、
「どうすればいいのかわからない!まとめ方が分からない」と、原稿を前に泣き叫んでいたっけ。
わたしと上の娘は「こうしたらどう?ああしたらどう?」とあれこれ下の娘に提案するが、と言ってとりかかるそぶりも見せないので
「自分で考えてみて」とほっとくことにしたのだ。
数時間後
しっかり細かにまとめられ、実験過程のイラストもとてもカラフルかつ繊細に描かれてる実験報告書が出来ていた。
あんな感じで
やるべきことを「やらないと」「やらなくていいの?」とせかすと
彼女にとっては責められている感じがして、ますます出来なくなってしまうようだ。
本人も言われていることはやるべきことと理解しているようなのが、最近分かってきた。
声掛けよりも見守るべきなのだろう。
私はというと
「やりたいことを優先したい、しなきゃいけない、彼女たちがいると出来ない」と思っていたのは、
言うほど自分のやりたいことは彼女たちがいる居ないに関係ないことに気づいた。
自分のマイナスな感情を
彼女たちの「学校へ行きたくない」という気持ちに向けていた。彼女たちのその気持ちが悪だからと、原因を転嫁していたのだ。