代表になった理由と今
かくかくしかじか。
前の記事にも記載しましたが、私が代表になったのが2021年11月26日です。
正直、私が今でも1番ビックリしています。
木ノ浦ビレッジのスタッフとして入社したのが2019年4月1日。
当時はたくさん怒られましたし、仕事できないと言われましたし、10キロ近く激やせした事もありました。
そんな詳細が以下リンクにありますので、ぜひご一読いただけますと幸いです。
私は、秀でていることは何もありませんが、振り返って思うのは私の可能性を信じてくれる人達がいたから今の自分がいます。
なおかつ、自分自身の可能性を信じていればなんとかなります!
通りすぎていくモノコトをチャンスと捉えるかどうか、
自分の意識ひとつで人生が大きく変わると実感しています。
そう気づかせてくださいました、皆さまに感謝しています。
今年の1月1日、令和6年度能登半島地震の際も同様でした。
移動も連絡もできないまま、滞在いただいていた宿泊のお客様・地域住民のみなさんや帰省していた方々・スタッフと共に木ノ浦という土地に閉じ込められました。総勢50名です。よく知った方もいれば、余り知らない方もいて、正直色んな不安がありました。電気・水道・通信・道路全て失われた中での共同生活...
自分の人生で、このような経験をするとは思ってもいませんでした。(しかも、やっとコロナ禍を乗り越えた矢先。群発地震とは言われていましたが、まさか1月1日に起こるなんて考えもしなかったです。)
それでも今、冷静になって振り返ると確かに不安だらけの共同生活でしたが、思い出すのは地域住民の方々の逞しさと生きる知恵の数々!!!
本当にみなさんの知恵に生かされていたと思います。
それは、地域の方々が受け継いできたものでもあり、無意識に親や周囲の人たちを見て覚えてきたものなのか、意識的に習ってきたものなのかは分かりませんが、この非常事態で不安な中、よくこんなに色んな知恵が出るなぁと素直に感じました。
1月2日には、お米を炊いて温かいご飯を食べられたこと。
隆起した海へいきサザエをとりツボ焼きにしたこと。
とにかく食は大切だからと、出し惜しみなく各家庭の使えそうな食材を持ち寄ってくださったこと。
私が最も記憶に残っている食事は、煮豆でした。
お正月だったので煮豆は定番なのですが、避難している人たちと煮豆を食べていたときに、誰かが言った一言。
「えらい正月になったけど、正月料理食べれたな~、ありがたいな~」
※エライとは、しんどいとかツライというニュアンスでしょうか。
すっごく満面の笑みで、でもどことなく悲しそうな声でのその一言が忘れられません。いろんな想いがこめられた一言だったのだろうと...
258日たった今も美味しすぎる煮豆の味と、誰かの深い一言との温度差を思い出します。
非常事態のなかで、みなさんの経験が培ってきたこと、先代から受け継がれてきたこと、そこに意識を向けて思い出し、感謝して生活していること。
炊飯器がなくても、土鍋でお米を炊けること。
隆起して波がないことを前向きにとらえ、海にいきサザエをとる決断をしたこと。
2週間自分達の力で生き延びようと、生きる可能性を最大限に探してお互いに協力したこと。
本当に、共同生活をおくる中でみなさんと一緒に多くの経験をさせていただきました。
この場を借りて、ありがとうございます。感謝をお伝えします。
余談ですが
1月2日にお米を炊いた時のお話を少し。
カセットコンロ3台・土鍋3つで地域の方がお米を炊いていたのですが、
「はじめちょろちょろなかぱっぱ、あかご泣いても蓋とるな」
私は人生ではじめて、この言葉を実践しました!
しかーし、蒸気穴から湯気がものすごい勢いで出てきたので
「これはマズい、ふきだすー!」と思い蓋を取ってしまったんです。
そしたら「まだダメや!!」って全力で蓋を戻されちゃいました...泣
湯気が出なくなってから火を止めて10分蒸らして蓋を取るとおいしくお米が炊けるということなんですが、、、
そんなこととは知らず、実は1つだけではなく3つある土鍋、全部の蓋をとっちゃってました。が、気づかれていないようだったのでコソコソ蓋して何食わぬ顔で「あとは任せてください!!」と言っちゃいました。
悪しからず...(^_-)-☆
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