他人に指摘できる心の持ち方こそが本当の優しさなのかもしれない#412
皆さんは誰かがミスをした時に、注意や指摘をすることができますか?
特に対等な立場の友達や恋人に、「ここは直したほうがいいのでは?」というように、嫌われるかもしれない強い心を持って注意してあげることができるでしょうか?
私ははっきりと、“できていない”と断言できます。これは反省していることであり、いかに改善すべきか悩んでいることでもあるのです。
嫌われる勇気
例えば、あなたが会社の上司から「ここはこのように直した方がいいよ」と言われた場合、きっと大人しく、指示に従うことが多いでしょう。
なぜなら、上司と部下は、教え教わる関係として、ものすごくわかりやすい立場があるからです。
つまり、その指摘を貰うのは相手が上司だから、大方当然のこと。相手も私のことを考えているのと同時に自分自身や会社のことを考えているので、納得できる場合が多いでしょう。
しかし、上司と部下の関係ではなく、友達や同僚、恋人のように主に対等の立場にある場合、立場という大義名分がなくなるので、途端に指摘や注意が難しくなります。
例えば、友達に「そんなやり方じゃ稼げないし、もっと真面目に考えた方がいいんじゃない?」と指摘されたとします。
あなたはそう言われてどう思いますか?
ネガティブに捉えるなら、「なんでお前にそんなこといちいち言われなきゃいけないんだよ」だと思います。しかし、
ポジティブに捉えるなら、「自分が目標から逸れそうになったところをしっかりと注意してくれてありがとう。なんて優しいやつなんだ」と思います。
つまり、明らかに指摘される筋合いがない相手からの意見や注意は、受け手の捉え方次第でネガティブにもポジティブにも捉えられてしまうのです。
多くの方が、ネガティブに受け止めてしまうことの方が多いのではないでしょうか?
それでも尚、相手のことを思って、嫌われる勇気を持って指摘できる人は本当に尊敬できて、信用される人なのだと思います。
優しい人は信用されない
私は自分のことを平均以上には、優しい人に分類される人種だと勝手に思っています。お人好しに近いかもしれません。
しかし、私が自己分析する優しいの定義とは、相手がミスをしても許して次頑張ろうと励ましたり、嫌なことをされても「気にしないよ」とスルーしたり、相手が本来自分ですべき面倒ごとを自分が引き受けたり、、、と俗にいう面倒見の良い優しさです。
ただし、この行動原理の裏側には総じて“嫌われたくない”という感情がつきまとっています。
なので、上に記したような、本当の意味で相手のことを考えた指摘というのができません。友達にも、彼女にも、同僚にも、嫌われなくないが故に、必要以上に優しくしているのかもしれません。
それこそ仕事や真面目に取り組むべき課題に向き合う場面に、指摘や注意ができなければ、目標の達成ができず、結果的に優しくない人間に終わってしまいます。
そういう人間を果たして、信用に足る人間だと思えるでしょうか?現実から目を背け、それを肯定して、結果が出ない。それを許していつまでも目標に到達できない。
相手が目標達成に向けて本気で頑張っているのを知っているなら、そして成長を求めているなら、きっと指摘や注意をしてあげるのが本当の優しさなのです。
なので、私がこれまで思い描いていた生ぬるい優しさは、本当は優しさなどではなく、単に信用を失いかねない愚行だった可能性があります。
本当の意味で優しくなるためには
自分が本当に大好きな人や、大切に思っている人がいるのであれば、彼ら彼女らの目指すところを知る必要があります。
例えば、本当に向上心や目標がなくて、現状の自分に満足している人には、何を言ってもその人の為にはなりません。なので、指摘も注意もありがた迷惑の嫌われ文句にしかならない。
しかし一方で、日頃から常に高い目標を持って、成し遂げたい何かがある人に対して、その人がサボっている時に激励の意味を込めて指摘する行為は優しさです。
なぜなら、その指摘は相手のことを思って出てきた発言であり、先に述べた「嫌われるリスク」を鑑みて発した、とても尊きアドバイスだから。なので、その人のことは多少嫌いになりそうでも、大切にすべき方なのだと思います。
一方で、勝手に優しさだと思い込んで恩着せがましく指摘する行為にも注意が必要です。相手のことを注意する時に必要な感情のモチベーションは、八つ当たりではなく優しさのはず。
そうでなければ、本当に嫌なやつになります。受けての捉え方次第ではありますが、きっと伝える努力をしなければ、わからない人も世の中には多くいるでしょう。
自分が本当に優しい人間になる為には、心の底から大切に思っている人に対して、しっかりと目標や夢を聞いて、その夢はどこまで真剣に叶えたいと思っているのか?
そして、本当に大切にしている夢なのであれば、その時は全力で応援すること。道を外しそうな時は指摘してあげることが、本当の優しさなのです。
指摘を優しさと捉える癖をつけよう
冒頭に話した通り、指摘や注意は受け手の捉え方次第で、相手を嫌う要因になることがあります。
愛を持って指摘した側は、良かれと思って嫌われる勇気を出してまで伝えたのに、それで反感を食らったのでは、指摘する意欲を一瞬でなくし、自らの成長の機会をみすみす逃すこととなります。
また、上司以外の赤の他人がこのように指摘するケースは本当にごく稀です。なぜなら利害関係がない限り、良好な人間関係を維持するだけならわざわざ指摘をして、嫌われるリスクを取る必要がないから。
そんな稀有で優しさに溢れた方に出会えた時は、できればポジティブに考えて、その人とは長く関係を築いていきたいものですね。簡単ではないでしょうが…。
とにかく、リスクがあって、メリットが少ない慈善行為をわざわざとってくれる人は多くありません。そういう方は大切にしましょう。
ノんスケが優しくなる為に
相手が何に関心を持っているのか?
どんな目標や夢をもっているのか?
その目標はその人にとってどれだけ大切なことなのか?
まずは、そこに関心を持つ必要がある。
今後関わる可能性が低い他人ならともかく、大切な友人や彼女に対し、これまで以上に関心を持ち、かつ目標があるなら、必要に応じて指摘をすべき。
そして、相手が「これは自分の為に言ってくれているのだ」と、自発的に汲み取ってもらうことが大切。自分から「君の為に言ってるのだ」と直接的に伝えると、大幅に印象がダウンしかねません。
なので、「今のやり方も悪くないけど、ここをこういう風にするともっと良くなると思うよ」と言った、直接的ではなく論理的で婉曲的な表現を用いて、指摘する方がベターでしょう。
その為にも、普段から意見をしっかりもち、一般教養を身につけたり、常識レベルを高めたり、標準ラインを見極める必要があります。
自分が許せるから、許す。ではなく、世間一般的にその行為が良い印象を与えないから、一緒に改善していこう。だとか。
考え方の違いは当然あるから問題ない。ではなく、実績を出している人は当然をこれをやっているから、自分もまだまだ未熟だけど一緒に頑張っていこう。とか。
指摘するに値する規準を持っておくこと。そして、拘りとしては、「頑張って直してね。」ではなく、自分も未熟なところはあるけども、「一緒に頑張っていこうね。」というスタンスを持つこと。
相手に指摘するだけでは親切ではないと感じる。
少なくとも私なら「お前は全部完璧なのかよ」と突っ込みたくなる気持ちを抑えて「アドバイスありがとうございます」と受け取ります。
だから、相手が歳上であろうと歳下であろうと、上司であろうと部下であろうと、誰に対しても敬意を持って、「自分も未熟なところはあるけど、お互い成長できるように頑張ろう」と言えるのが、親しみをもって尊敬もできる理想の優しい人の人物像なのだと思う。
そこの信念だけは、ここ10年くらいブレていないのかもしれないですね。
終わりに
他人に愛を持って指摘する。
愛情をもつことも、
指摘をすることも、
どちらも簡単なことではありません。
そして、どたらか一方だけできていても、十分ではなく、どちらもできて真に優しく信用に足る人間になれるのだと思います。
これまでの私は指摘ができる人間ではなかったですが、これを機に少しずつ相手のことを考えた指摘ができるように頑張って取り組んでみます。
決して恩着せがましい指摘ではなく、相手が結果的に欲しかった言葉を与えられるような人間に近づけたらと思いました。
最後までお読み頂きありがとうございます。
ps
最近好きなYouTuberの動画を貼っておきます
このカップルのともやくんが最高に優しくて、自分の理想です✨(笑)
かほちゃん面白すぎですw
▼こっちの方が優しさMAX(笑)
いつもnoteを読んで頂きありがとうございます✨ サポートをして頂けましたら、創作活動の勉強費用に当てて、ゆくゆく必ず社会に還元させて頂きます🍀