北畠具教の家臣は具教の弟子?
北畠具教が剣、槍の達人で戦で織田信長に勝つまでの戦の天才である事を伝えて来たが北畠具教のみの強さのみであればかほど、織田信長とて5万の軍勢を率いても敗戦しなかった筈である。
槍の使い手、長野左京亮
北畠具教の重臣 長野左京亮は北畠家の侍大将で槍の使い手だったと伝わる。
元は長年、北畠家と領地争いをしてきた、長野工藤氏の庶流出身の武士である。
北畠具教は伊勢国全盛期の際に最強の槍術と謳われた宝蔵院流槍術の使い手、宝蔵院胤栄を伊勢に招いて槍術の習得に至っている。
自身が槍術を学ぶに至って家臣にも教えている筈である。
鹿島新当流の使い手、剣豪 塚原卜伝には1番弟子がいたが塚原卜伝の秘奥義 一之太刀の伝承には至らなかったという。
しかし、秘奥義 一之太刀を習得した北畠具教から塚原卜伝の1番弟子は習い習得に至ったという。
その事から考えるのがただ単に大名が強かっただけではなく、北畠家が伊勢国、全体の武将が武士1人1人が強過ぎたとしたら、これは周りの国は脅威と感じるだろう。
長野左京亮も恐らく使った槍術は宝蔵院流であろう。
長野左京亮は織田家の家臣となり織田勢と共に
三瀬の館での襲撃最初の一手に北畠具教に立ち向かっているが、複雑な心境であったであろう。
そこに隙が生まれ、北畠具教には勝つ事が出来なかった。
最強の剣聖の弟子、日置大膳
日置大膳のイメージは 映画 忍びの国で伊勢谷友介が演じたのが1番イメージとして浮かびやすいだろう。
実際の人物が本当に同じような人物だったかは疑わしいし北畠具教を斬った描写があるが状況からするに日置大膳も長野左京亮同様に技を繰り出すが北畠具教の足元にも及ばなかったであろう。
日置大膳がもし、一之太刀を習得していたとしても北畠具教は更にその上をいく、強者、、
三瀬館に襲撃した織田勢100人以上の中にいて100以上が負傷し、19人が北畠具教1人に切り伏せられているのに1対1では勝負にもならないであろう。
北畠具教の刀が抜けない細工までして誰も勝てないなんて、最強過ぎるだろう。
その後、北畠具教が自害を選ぶのは北畠の家臣や一族郎党が互いに磨きあった槍術や剣術で互いに傷つけ合い互いに殺し合うのが嫌だったからなのかもしれない。
戦国時代だからこそ人の感情で時が作られ
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戦国時代の武将や…武将じゃなくても戦国時代に生きた人々は100年も続いた戦乱で桶狭間直後まで続いた小氷河期による飢饉や病魔などで頭のネジが一本以上ハズレているような、人が死ぬのはあたり前という麻痺感覚でいた世の中であってもいつの時代も時代を作るのはその時代の人間である。
だからこそ、北畠具教も三瀬館で勝っていても自害を選んだ自らが好きな剣術で殺し合うのは道理であっても自身の理想ではなかった。
秘奥義 一之太刀を北畠具教に伝授した鹿島新当流の塚原卜伝も戦国時代の世にありながら
秘奥義で戦国の世を終わらせたいと願い旅を始めた剣豪である。
その平和への想いは北畠具教に伝わっていたと信じたい。
平和を愛し部下の成長を見守り続けた
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