同じ穴グラム

元高校球児である。
筋書きのないドラマと言われている世界は、今思うと楽しかったな。
最後はもうとんだバッドエンドだったのだけど。

最近はポップに話せるようになってきたと思っていた。
けども、野球経験者に話すと
重い話みたいに聞かれてしまう。圧倒的な力や才能があれば、そんな細々したことには振り回されないのだよ。
その才能がなかっただけのことである。

まあ、実は才能があったかもしれない。
自分にはちょっとだけ天性のものがあったんだなと。
それは最近になって気づき始めた。なんともおめでたいやつである。

近日の話である。

何本かの演劇を見た。
ワークショップに参加したりもした。
やるぶんには、もう一度参加してみても面白いのかもしれない。
見る分にはあまり楽しめていない。

その演劇は知り合いが出るということでみに行った。
東京のその界隈の人たちの熱量ってやっぱりすごいんだなと思った。
しかし、何かを作る人間としては、もっとやりようがあったのではと思ってしまう。
地下らしい地下というか。売れないことを最大限に楽しんでいるというか。
むしろ売れない自分、夢追う自分に酔っているような感じがする。

結果的に甲子園に出た奴らの裏話に感動するのであって、
人を感動させたいから甲子園を目指すのではない。
実際に人に勇気を与えられるような俳優になったから苦労話に感動するのであって、
「売れない、でも諦めない」そんな私に酔っていてはダメなのである。

その非情さは7年間の野球人生で痛いほど痛感したな。

自分に酔っているやつはやっぱり感情が先に出ているもの。
本来、専攻しなければいけない技術論とかメカニックとか理屈とかが、
感情の後ろを走っているようでは弱いのです。

考えていると、自分の苦手なことに結構センスを感じている。
こんな歌詞は臭くて歌えないなとか、この脚本ではこの立場の人を蔑ろにしてるじゃないかとか。
その感覚のおかげで、地に足ついた作品が作れている。

そんな感じで私も自分に酔っている。なんともおめでたいやつである。

歌詞を考えていると、「そばにいるから大丈夫」なんて歌えないよ、恥ずかしくて。

いや、それを歌なら言えるというから素晴らしいのかもしれない。
でも、「そばにいるから大丈夫」という歌を歌う奴らが6〜7人集まって歌っている地下ライブを見ると、ほんとに大丈夫なのかなと心配になる。

私からもし言うなら、「いや。俺がいて何になる。」程度のことなのである。
「私がいるから」みたいなのは美男美女に言われるに限りますな。

私もいるしあなたもいるし、応援しているし、なんなら愛している。
でも、次の打者にボールを投げるのは私1人なのである。

最近不祥事やら失敗やらに厳しいですが、そんなに人間は美しかったのかよ。
もっとドロドロしていて、寂しくて非常な世界だと思っていたよ。
同じ人を推したり責めたりしてできた共同体が、ちょっと強すぎるなあ。

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