アンパンマンは博愛主義者
アンパンマンは「この世界に住んでいる全ての人が好きである」と公言してはばかりません。テレビという公共の電波を利用した番組内での発言なので、文字通りの公言です。「そんなことをわざわざ公言するなんて、後ろ暗いところがあるんじゃないの?」という意見もあるかもしれません。確かに、このセリフだけをピックアップすると、頭がおかしい奴だと思われる可能性もあります。ただ、アンパンというのは菓子パンの一種なので「頭がお菓子な奴」ではあるのです。考えが甘い人などを糾弾する際にはピッタリの言葉ですね。
それにしても、なぜアンパンマンは上記のような発言を繰り返すのでしょうか。博愛主義なのは良いとして、それを公言する目的がよくわかりません。「ボクの目的はただ1つ。国民的アニメの主人公として君臨し続けることさ!」と言われたらそれまでですが。ただ、主人公の座をキープしたいのであれば「みんなが大好き!」というようなメンヘラ臭が漂うセリフを発するのはやめた方が良いでしょう。面がヘラるのは、顔が濡れたときだけで充分です。
アンパンマンは誰にでも優しいので、とにかく人望が厚いです。「誰にでも優しくするなんて、面の皮が厚くなければできないわよ」と陰口を叩く人もいますが、そのような人を相手にする必要はありません。陰口を叩くのは、その人が暇だからです。そして、暇というのは、平和な状況においてのみ許される特別なものなのです。想像してごらん、暇のない世界を。himagine all the people.
ただ、優しければそれで良いというものではありません。優しすぎるが故に、相手を甘やかしてしまい、結果的に増長してしまうというケースもあります。そのため、ジャムおじさんからは「甘やかしてばっかりではダメだ。メリハリが大事なんじゃ」と釘を刺さされることもあるようです(伝聞)。アンパンマンには、叱責された恨みを晴らすために、深夜に森へ分け入って「ジャム男(お)」と名付けた藁人形に五寸釘を刺しているという噂があります。噂が絶えるのが先か、ジャムおじさんが息絶えるのが先か。微妙なところですね。
ただ、誰にでも平等に接するアンパンマンにも、例外的な存在はいます。特定の人物に肩入れしないアンパンマンですが『勇気の花がひらくとき』という映画の中では、キララ姫に対して好意を示していました。キララ姫もまんざらではなく「アンパンマンは私のことが好きなの。邪魔をしないで」というアチチなセリフを残しています。「残したのはセリフだけですか?二人の愛の結晶は残さなかったんですか?」という人もいるかもしれませんが、それは下種の勘繰りというものでしょう。形あるものはいつか必ず壊れますが「無形の愛情」は永遠に壊れないのです。