能登を魅せるNOTONOWILD
今年の5月31日に、東京の大手町にある3×3Lab Futureで行われた、一般社団法人マツリズムの大原学さんと、「NOTONOWILD」の辻野実さんとの対談企画。大原学さんからフライヤーの依頼を受けてから、辻野さんとのご縁をいただきました。
東京で伺った話を、実際に能登町に赴いて体験できるだけでなく、辻野さんの活躍する場を見れることを楽しみに、代表的なキリコ祭りのひとつ「あばれ祭り」が開催された7月5日・6日の二日間で能登町を訪れました。メンバーは、本多・浦・千夏・シマヲの能登のわチーム。大原学さんとも能登町で合流しました。
辻野実さんは、1982年生まれ、能登町出身。大学進学で能登を離れ大阪へ、そのまま大阪のマーケティング会社に就職。2007年の能登半島沖地震を機に石川県へ戻り、金沢市内の企業で4年間勤めたそうです。2012年1月にウェブデザイナーとして独立後、2016年、能登町の祭りや風土を映像・写真で紹介する「NOTONOWILD」プロジェクトを立ち上げ、様々なイベントなども企画。2018年4月、デザイン会社「SCARAMANGA(スカラマンガ)」として法人化。2021年に能登町に戻り事務所を構え、能登町定住促進協議会のホームページやブログにも携わっています。
能登全域で開催されるキリコ祭りは、能登に生まれ育った人たちにとってアイデンティティともいうべき文化です。能登を離れた出身者の方も、キリコ祭りに合わせて帰郷し、キリコを担ぎ、祭りを楽しみます。
祭りを支えるおもてなし
祭りの最中、SCARAMANGAの事務所には、食事と冷蔵庫にパンパンの酒、子供にはお菓子が用意され、訪れた誰にでもに振る舞われます。マツリズムの大原学さんの呼び掛けで集まったキリコの担ぎ手たちと、辻野さんの仲間たちと一緒に、祭りの始めも終わりも酒を酌み交わし、初めての人同士でも親交を深め、楽しく熱い一時を過ごしました。こういった振る舞いは、能登町内のあらゆる場所で自主的に行われている文化だそうです。
減り続ける担ぎ手を補い合い、継承していく祭り文化
酒を酌み交わしてから、気合いを入れてキリコを担ぎ始めます。今年の能登町におけるキリコ祭りは、36基のキリコが繰り出されました。一基につき約50人で担ぐので、交代要員を差し置いたとしても1,800人の担ぎ手が必要になります。震災の影響で出られなかったキリコもあり、本来であれば48基のキリコ・2,400人の担ぎ手が必要です。
令和2年の能登町の人口統計によると、1995年の25,590人から、2015年の17,568人と31.3%減少し、2024年8月現在では約15,500人。2030年には11,800人まで減少すると予測されています。人口減少と過疎化が進む中、担ぎ手の数も減っているそうです。足りない担ぎ手は、能登全域から各市町村で開催されるキリコ祭りのキリコを担ぎ合うことで補完しています。自分の町だけでなく、能登全体の祭りを守り継承しているのです。またマツリズムのように担ぎ手を集めキリコを担ぐことは、直接的な地域の祭りを守る支援になっています。能登町の直前に訪れた、輪島塗りキリモトの息子さんが間近で同じキリコを担ぎ、休憩中には気さくに話し掛けてくれました。その偶然にも驚くのですが、本当に能登全域から集まっているのだと感慨を覚えました。
祭りを支援する意義と方法
私自身、震災後に初めて能登を訪れ、まずは能登のアイデンティティである祭りを肌で感じることが、今後の支援のためにも必要であると考えていましたが、祭りに参加することがどんな支援になるのか?はわかっていませんでした。恥ずかしながら、キリコを担ぐのは少しの体験程度と考えていて、むしろ神聖な神事に、他所者がしゃしゃり出るかたちになってしまうのではないか?というイメージもありました。「ちょっと担いでみる?」と辻野さんに声をかけられ、恐れ多くも担がせてもらいました。
各地のキリコは、その土地とちで特色があり、輪島のキリコは、全て漆で塗装されていたり、鵜川地区では全面に大きな武者絵が描かれていたりと多種多様です。能登町のキリコは上物のキリコ自体は小柄ながら、担ぎ棒は太く重く、能登全域の中でも最大重量を誇るキリコだそうです。担ぎ棒と肩の間には必ず座布団を挟み、持ち上げるというよりは、キリコの中心に向かって体重をかけてせり上げるようなイメージでした。「ちょっと」の声をいただいた瞬間に「一回肩を入れたら最後まで担げよ」と、結果、22時から早朝3時までの間、最後まで担ぎ切り、正直、四十半ばの身としてはかなり身に堪えましたが、なくてはならない体験と心地の良い疲労感を得ることができました。
またもうひとつの支援として、この祭りを見に来てもらえるだけでも支援になるんだと、一緒にキリコを担いだ玉川知之さんから伺いました。キリコはただ担いで歩くだけではなく、掛け声に合わせてキリコを上下に激しく揺するタイミングがあります。担ぎ手の息があっている町会のキリコは、側から見てもその様子が明らかにわかり、盛り上がりと熱量が伝わってきます。逆にそのアクションを見て応援し盛り上がる観客たちのエネルギーも、担ぎ手に伝わるそうで、観る側と担ぐ側のシナジーが盛り上がりを築くのだと教えてくれました。
2024年は、震災の影響で観光客を制限したこともあり観客も少なかったのですが、例年は狭い道をたくさんの観客がいる中を掻き分けて、キリコを担ぎ練り歩く時はアドレナリンが溢れて、えも言われぬ快感を得ることができるそうです。
1日目のクライマックスは、松明の周りで火の粉が飛び交う中、たくさんのキリコが「イヤサカヤッサイ、サカヤッサイ」の掛け声とともに、せめぎ合いながら乱舞します。太鼓と掛け声による独特のリズムと、燃え盛る炎、たくさんのキリコの灯。世界中でここにしかない、土地のエネルギーが凝縮した光景でした。
地域のコミュニケーションを促す「DOYA COFFEE」
そしてもうひとつの側面として、辻野さんは「DOYA COFFEE」という喫茶店を経営しています。DOYA(ドーヤ)は能登町のスラングで、親しい仲同士でコミュニケーションを取る際に、最初に使う言葉だそうです。DOYA COFFEEでは、地元の焼き菓子のポップアップや様々なイベントを展開しており、クリエイティブで表現をするだけではなく、地域密着でコミュニケーションを取れる場もプロデュースしています。
NOTONOWILDの目的とその効果
NOTONOWILDは、能登を離れた能登出身者に対して、能登の魅力を発信することを第一の目的としており、結果的にその活動自体が能登の魅力を全国に向けて発信するメディアになっています。
全国各地で地域創生や地域活性化の動きがある中で、ターゲットとなるのは外からいかに集客をするか?インバウンドであったり、観光客がそれに当たる場合が多いと思われます。経済的な効果を考えれば、それは真っ当な方法かも知れませんが、本来の目的である土地が活気付く一番の方法は、その土地に生活する人たち自身に活気があることなんだと気付かされます。
本質を的確に捉え、デザインとセンスで多角的に魅せ、仕掛ける。
ここにNOTONOWILD辻野さんの真骨頂があると思いました。
未だ多くの倒壊した家屋が残り、インフラの復旧もままならない地域もある能登で、復興のためにも土地のエネルギー・アイデンティティは、やはり、決して、失ってはならないことを、肌で直に感じることができた体験でした。
執筆:シマヲ