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映画について書いたもの

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映画評や映画文化にまつわる文章。
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2022年9月の記事一覧

『この子は邪悪』(監督・脚本:片岡翔/2022年)

予告編などを観ているとどうしても白いマスクをかぶった少女が目立つため、一定のシネフィルならば『顔のない眼』(1959年)を、そうでなくとも多くの日本人なら『犬神家の一族』(1967年、2006年)を思い起こすことだろうが、製作側がそれを意図したのかどうかはさておき、それはややミスリードであった。もちそんそれらも参照していることは間違いないだろうが、むしろ近年のものならジョーダン・ピールの『ゲット・アウト』(2017年)やヨルゴス・ランティモスの『ロブスター』(2015年)、あ

PFFアワード2022 短評

ひさしぶりに「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」の会場におもむき、PFFアワード2022の受賞作を一部見ることができたので(グランプリ、準グランプリ、審査員特別賞を受賞した5作)、備忘録もかねて短評を書く(鑑賞順)。 *入選16作品は、10月31日までオンラインで配信されている。 DOKUSO映画館 U-NEXT 『幽霊のいる家』(監督:南香好/12分) 12分の短篇ながらとても長い映画だった。しかし、それはまったく悪い意味でなく、むしろ深い感心からである。一つひと

崩れゆく部屋と透明な建築の呼応—「ペドロ・コスタ 世界へのまなざし」

この文章は、2005年にせんだいメディアテークで企画した上映と展示「ペドロ・コスタ 世界へのまなざし」(2005年3月19日-29日/せんだいメディアテーク7階スタジオシアター、6階ギャラリー)に際して、未来社のPR誌『未来』(2005年3月号)に寄稿したものである。今思えば暴挙としか言いようのない仕事だったが、それもさまざまな人たちの協力_それを友情と言ってもよい_によるもので、これを書く機会を得たのもその一例である。 初出:『未来』No.462(2005年3月) まるで

「ヤマガタ」の名とともに映画は世界をめぐる

2006年に山形国際ドキュメンタリー映画祭がNPO法人化するにあたり、山形新聞が組んだ特集に寄稿したものである。この映画祭は、学校を卒業してすぐにせんだいメディアテークの仕事に就き、専門でもないのに上映会を企画しなくてはならなくなった私にとって、映画の先生の一人であったので、山形市が映画祭をNPO法人化すると決めたことへの批判を込めたつもりだった。 初出:山形新聞(2006年4月) 山形市の隣、仙台市にあるせんだいメディアテークでは、開館以来、山形国際ドキュメンタリー映画祭

キャメラのむこうにある<リアル>

せんだいメディアテークで2002年に企画した上映会「キャメラのむこうにある<リアル>」の企画を考えているときに構想メモとして書き、上映会当日の配付資料に掲載したものである。当日は故・佐藤真監督も来館されお話しいただいた。その記録映像は現在メディアテークのライブラリーで見ることができる。それを見直しながらこのテキストのことを思い出したのだが、若さと無知はおそろしいもので、佐藤監督を前によくもこんなことを書いたものだと20年経って震え上がっている。 初出:『キャメラのむこうにある