世界の名ボクサー:ジョージ・ディクソン(George Dixon)「速戦即決の強打者」

ジョージ・ディクソン(George Dixon)
1870年7月29日~1908年1月6日

①経歴
世界バンタム級、フェザー級王座を制した二階級制覇王者ディクソン。「世界王者になった初めての黒人」(「カナダ初の王者」でもあるそうだ)。カナダ・ノバスコシア出身(祖父の一人が白人)。ニックネームは「リトル・チョコレート」。20年の長いリングキャリアだったが、それは効率的なトレーニング、マネージャーのトム・オパークとの良好な関係があったからとされている。写真やイラストで見るディクソンは非常にスリム。長いリーチを使い、動きが猫のように機敏だったという。ただ、身長161cm、リーチは168cmで大きくない。彼の効率的なトレーニング方法は他のボクサーたちにも広く伝えられていった。少年時代は写真家の助手。そして、ボクシングに興味。

②プロ活動
1886年11月1日、カナダでプロデビュー。その後、アメリカのボストンを主戦場に。体格的にまだ劣っていたか、勝ち続けるが引き分けも多かった。1888年5月10日、「世界バンタム級王者」を自称するトミー・ケリーと引き分け。1890年6月27日、英国遠征。ロンドンでヌンク・ウォレス(英国王者)を 19 ラウンドで破り、世界バンタム級王者に(王座決定戦)。ジョニー・マーフィー(英国)、カル・マッカーシー(ペンシルベニア州出身)、エイブ・ウィリス(オーストラリア)を下して防衛に成功したが、体重増加により王座を返上。1892年6月27日、ブルックリンでフレッド・ジョンソン(英国)を破って世界フェザー級王座獲得、二階級制覇。頻繁にリングに上がるディクソン。ノンタイトル戦を多くこなしながら、世界王座を防衛。面白いことに「ジョージ・ディクソン・スペシャルティ・カンパニー」と名付けた劇団を設立。カナダと米国で巡業公演。

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