世界の名ボクサー:ロベルト・デュラン⑦「パナマの ”石の拳”」

世界四階級制覇王者。強烈なKO負け&四階級制覇。トーマス・ハーンズ戦、ロビー・シムス戦、リッキー・スタックハウス戦、アイラン・バークレー戦ほかを紹介します。

ロベルト・デュラン(パナマ)
身長170cm:オーソドックス(右構え)

①トーマス・ハーンズ 2RKO ロベルト・デュラン
(WBC世界J・ミドル級タイトル戦、1984年)
(ダウンシーン)
1R:右ストレート、左フックでデュランがダウン
2R:右ストレートでデュランがダウン
(感想:ハーンズがタイトル防衛。マービン・ハグラーの世界ミドル級王座に挑戦して判定負けしたデュラン。本来なら所持するWBA世界J・ミドル級王座の防衛戦を行わなければならないが、WBC王者ハーンズとの統一戦を選択。ところがWBAはデュランの王座を剥奪。ハーンズのWBC王座のみが懸けられることに(新WBA王者はマイク・マッカラム(後、三階級制覇)。デュラン戦が実現しなかったのが残念)。ハーンズは有名な「クロンクジム」所属のKOマシーン。テネシー州出身だが幼い頃から貧しく、父親はいなかった。5歳の時にミシガン州デトロイトに移住。ここは最悪の犯罪都市。10人兄弟の長男であるハーンズは物静かな少年であり、守ってくれる人がいなかったことからいつも被害に遭っていたという。バスケットボールも好きだったが、「周囲のワルからナメられないようにするため」ボクシングを選択。13歳で「クロンクジム」に入門。エマヌエル・スチュワードの指導によりアマチュアでは155勝8敗。しかし、RSC(KO)勝ちはわずか「12」。背は高いが、パワー無し。プロ入り後は一転してパワーアップ。連勝でピピノ・クエバスからWBA世界ウェルター級王座奪取。防衛にも成功。しかし、統一世界ウェルター級王座を懸けたシュガー・レイ・レナードとの大一番に敗北、初黒星(これのせいでハーンズは「二番手の王者」といった存在に)。ウィルフレド・ベニテスを下してWBC世界J・ミドル級王者になったが(1982年)、右手を負傷。そのためこのところ相手をKOできず、やや強打が湿りがち。そして、デュランと二度目の防衛戦。ラスベガス「シーザース・パレス」で行われた一戦。1R、ハーンズが鋭く、パワーもある速射砲のような左ジャブ、右ストレート。デュランはジャブで何とか応戦しようとするが、見えないほどの速いパンチで早くも二度ダウン。そして衝撃の2R。強烈な右ストレートでデュランが前のめりにダウン。顔面からキャンバスに叩きつけられたデュランは立てず。ボクシング史に残る壮絶なKO劇。あのタフなデュランが顔面から倒れる姿はかなりの衝撃。ハーンズはこの時期がおそらく全盛期。そのパンチを思いっ切り食ってしまったデュランはまさに「餌食」「引き立て役」といったところ。その後、デュランは引退を決意。ハーンズは五階級制覇を達成するが、右拳の不調に悩まされ続けた。)

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