世界の名ボクサー:ジャック・デンプシー①「マナッサの殺し屋」

世界ヘビー級王者。1910~20年代の伝説の強打者。デンプシーについて、世界王座戦ジェス・ウィラード戦、ビル・ブレナン戦、ジョルジュ・カルパンチェ戦を紹介します。

ジャック・デンプシー(アメリカ)
身長185cm:オーソドックス(右構え)

①「ジャック・デンプシー」とは?
1910~20年代に強打で鳴らした伝説の選手。当時、強すぎるため「悪役」のような扱いをファンからされてしまったほど(タフになるため松ヤニをガムのように噛み、顔の皮を厚くするため塩水に顔を浸けたという(効果アリ?)。パンチの強さは「生まれつきのものだ」と語っている)。本名「ウィリアム・ハリソン・デンプシー」。生年月日は1895年6月24日。コロラド州マナッサ出身のためニックネームは「マナッサの殺し屋」(他に「拳聖」「拳の英雄」など)。ボクサーになる前は家計を助けるため重労働(強靱な肉体が作られ、結果的にこれが後に役立った)。兄バーニーがボクサーだったことから兄から手ほどきを受けたデンプシー。「ジャック・デンプシー」は元々、兄バーニーが名乗っていたリングネーム(そのバーニーもかつての名選手ジャック・デンプシーに憧れてその名を借用していた。つまり「マナッサの殺し屋」と呼ばれた「ジャック・デンプシー」は「三代目」に当たる?)。バーニーの代理でリングに上がり、以来「ジャック・デンプシー」の名で試合をするようになったという。しかし、ボクサーも人気商売。売れる前は貧乏暮らし。全米を転々。今では映像や写真で有名選手なら顔と名前はすぐにわかるが、当時はそうではない。実際にその選手を見たことがなければ誰なのかわからない。試合をしたいとプロモーターにかけ合っても身なりで判断され、門前払い。誰も「ジャック・デンプシー」なんて知らない。そんなワケのわからない奴を相手にできるかといった扱いを受ける日々。ニューヨークではインチキなマネージャーにカネを取られ、試合では骨折するなど散々な目に。ボクサーを辞める気持ちになっていたところ、かつての対戦相手のマネージャーだったジャック・カーンズからの手紙。サンフランシスコへ赴いたデンプシー。彼を出迎えるカーンズ。「何とかカネを稼ぎたい」と二人の思惑が一致。

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