世界の名ボクサー:ジョン・L・サリバン(John Lawrence Sullivan)「ベアナックルの英雄」

ジョン・L・サリバン(John Lawrence Sullivan)
1858年10月15日~1918年2月2日

晩年のサリバン

①経歴
古い時代の豪傑。試合の映像は残っていない(写真、引退後のサリバンを映した映像フィルムはある)。本名「ジョン・ローレンス・サリバン」。ニックネームは「ボストン・ストロング・ボーイ」。通算戦績41勝(33KO)1敗3分(諸説あり。数え切れないほど多くの試合(エキシビションマッチ含む)をやっており、この記録は「確認されたもの」に過ぎない)。身長179cm、リーチ188cm(マイク・タイソンと同じくらい)。アメリカ・マサチューセッツ州出身の白人。両親はアイルランド移民。祖父はレスラーだったという。良い家柄でボストン大学に通っていたが、アマチュア試合に出場。学校を辞め、プロ野球選手に。職業を転々。19歳でプロボクサーに。その頃のプロボクシングは素手で殴り合う「ベアナックル」の時代。頑丈なコブシ、タフネスで勝ち続け、人気者に(当時、ボクシングは非合法。試合に出場して何度も逮捕されたとか。また、「サリバン」といえば「ベアナックル」のイメージがあるが、実際には「グローブ着用試合」がほとんどだったという話もある。ベアナックルで戦った試合があまりにも壮絶だったためベアナックルのイメージが強いのだとか)。プライベートでは数度の結婚。息子ができたが、病死。

②世界王座獲得
サリバンの「世界王座獲得」には諸説あり。1882年、パディー・ライアンを破ってベアナックル全米ヘビー級王座獲得(24歳。「ロンドン・プライズリング・ルールズ」なるベアナックル・ボクシングルールでの試合。結果的にサリバンはベアナックル・ボクシングの「ヘビー級最後のチャンピオン」になった)。この全米王座を「世界王座」とする説、「パディー・ライアン戦は世界戦ではない」という説。1885年8月29日、ドミニク・マカフレイを破って初代世界ヘビー級王座獲得。しかし、1888年3月10日のチャーリー・ミッチェル戦、または1889年9月7日のジェーク・キルレイン戦が「初の世界タイトルマッチ」とする意見も多い。「世界王座」に関しては昔も今も「統一感」に欠けている。

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