世界の名ボクサー:輪島功一①「KOされても王座に返り咲く "炎の男"」
世界J・ミドル級王者。世界王座を三度獲得。初の世界挑戦と防衛戦。カルメロ・ボッシ戦、ドメニコ・チベリア戦、マット・ドノバン戦、ミゲル・デ・オリベイラ戦(初戦)を紹介します。
輪島功一(日本)
身長171cm:オースドックス(右構え)
①輪島功一 15R 判定 カルメロ・ボッシ
(世界J・ミドル級タイトル戦、1971年)
(感想:輪島がタイトル獲得。「炎の男」と呼ばれた輪島。パンチだけではなく「カエル跳び」「相手を油断させる演出(風邪を引いたフリをする)」といった小技も使った個性派。「挨拶が大事」といった信念を持っている人格者でもある。孫もボクサーに。1943年、樺太生まれ。樺太がソ連に占拠されたため、北海道士別市に移住。実家は貧しく、過酷な日々。中学時代には夕方から明け方までイカ釣り漁に従事。寝る時間もないような暮らしの中、野球を楽しんだりして体力と根性を身に付けた。成人後、仕事場の近くにあった「三迫ジム」に入門。苦労をしてきたが、明るい性格で努力家。25歳でデビュー。連戦連勝で全日本ウェルター新人王、日本J・ミドル級王座獲得。1RでKO負けしたり、日本王座を奪われたこともあったが、王座奪回。五連続防衛後、初の世界挑戦のチャンス到来。王者ボッシはミラノ出身のイタリア人。欧州王座(ウェルター級)を獲得し、その王座は失ってしまったが、フレディ・リトルに判定勝ちして世界王者に。初防衛戦は引き分け。輪島戦は二度目の防衛戦となる。東京(両国)・日大講堂での一戦。ボッシが左のガードを下げた構えからジャブ、ストレート、左フック。輪島(会場に飾られた応援用の垂れ幕には本名の「輪島公一」の文字)はウィービングしながらジャブ、接近して左右フック。意表を突くタイミングで1Rからフックを当てる輪島。ボッシは低い体勢の輪島にジャブを使うが、接近戦ではクリンチが多い。6R、輪島が「カエル跳び」を使う。中間距離ではボッシ、接近戦では輪島、といったパターンで15R終了。判定は2-1。輪島の攻める姿勢が評価されたと思われる。ヨーロッパの選手はテクニック指向なところがある。これが最後の試合となったボッシは判定に不満があったようだが、それならば倒しに行くような攻めをして欲しかったところ。輪島は独特の(奇妙な?)動きが注目されがちであるが、ウィービングで的を絞らせないようにしたり、突き刺すようにジャブを繰り出したりするなど、大試合で勝てるだけの武器を持っていた。)
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