世界の名ボクサー:マービン・ハグラー④「驚異的な世界ミドル級王者」
強打の統一王者。世界再挑戦と防衛戦。アラン・ミンター戦、フリー・オベル戦(初戦)、ビト・アンツォフェルモ戦(再戦)、ムスタファ・ハムショ戦(初戦)、ウィリアム・リー戦を紹介します。
マービン・ハグラー(アメリカ)
身長177cm:スイッチヒッター(両構え)
①マービン・ハグラー 3R TKO アラン・ミンター
(世界ミドル級タイトル戦、1980年)
(感想:ハグラーがタイトル獲得。「無冠の帝王」ハグラー。ビト・アンツォフェルモの世界ミドル級王座に挑戦して引き分け(その時の興行のメインイベントはシュガー・レイ・レナードがウィルフレド・ベニテスをTKOで下したWBC世界ウェルター級王座戦。勝てなかったハグラー。勝ってさらにスターになったレナード。ここから両者の因縁が始まった)。これが二度目の世界挑戦。イギリスの王者ミンター。ニックネームは「Boom Boom」だが、テクニックで勝負するタイプ。11歳でボクシングを始める。1972年のミュンヘンオリンピックではライトミドル級で銅メダル。ロンドンでプロデビュー(勝利)。しかし、連戦連勝とはいかず、連敗したことも。英国王座、欧州王座(いずれもミドル級)を獲得したり、エミール・グリフィスに勝利したりといった実績を上げ、ビト・アンツォフェルモを破って王座獲得。アンツォフェルモを再戦で破ってタイトル初防衛。ハグラー戦はミンターにとって二度目の防衛戦となる。英国「ウェンブリー・アリーナ」で行われたサウスポー対決。共にジャブを使って1Rから打ち合う。飛び込んでいくような打ち方で強い右フックを当てるハグラー。3R、右フック連打を浴びてグラついたミンターが激しく出血。キズによるTKOで試合終了。ミンターの敗北に不満のファンがリングに物を投げ入れたため、新王者ハグラーは勝利のセレモニーを行うことなく控え室に避難(「紳士の国」も本性はこういうものらしい)。ビト・アンツォフェルモと引き分けて最初のチャンスで世界を獲れなかったハグラーが二度目のチャンスで王者に。サウスポー同士の対戦だったが、パンチの伸び、パワー、当てる巧さ、踏み込みの速さ、ディフェンスなどでハグラーが上だった。敗れたミンター。その後、三試合。最後はムスタファ・ハムショ、トニー・シブソンに連敗。ハムショもシブソンも後にハグラーに挑戦したが・・・。)
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