世界の名ボクサー:トーマス・ヒットマン・ハーンズ①「デトロイトの暗殺者」

80年代のスター。世界5階級制覇王者。アマチュア時代の二試合(アーロン・プライアー戦ほか)、プロ入り後のペドロ・ロハス戦、アルフォンソ・ヘイマン戦を紹介します。

トーマス・ハーンズ(アメリカ)
身長185cm:オーソドックス(右構え)

①アーロン・プライアー 3R 判定 トーマス・ハーンズ
(ナショナルゴールデングローブ・ライト級決勝、1976年)
(ダウンシーン)
2R:右ストレートでハーンズがスタンディングダウン
(感想:テネシー州出身のハーンズ。幼い頃から貧しく、父親はいなかった。5歳の時にミシガン州デトロイトに移住。ここは最悪の犯罪都市。10人兄弟の長男であるハーンズは物静かな少年であり、いつも被害に遭っていたという。バスケットボールも好きだったが、「周囲のワルからナメられないようにするため」ボクシングを選択。13歳で「クロンクジム」に入門。エマヌエル・スチュワードの指導によりアマチュアでは155勝8敗。しかし、RSC(KO)勝ちはわずか「12」。背は高いが、パワー無し。プロ入り後は一転してパワーアップし、「倒し屋」に。当初は「勝てる相手」を倒しまくり、次第に実力者と対戦(後の世界王者ブルース・カリー、元世界王者のセンサク・ムアンスリン、エディ・ガソらをKOし、「The Hitman」「Motor City Cobra」などと呼ばれるようになった)。プライアー戦はアマチュアの大会でのもの。後に「荒鷲」と呼ばれ、プロでは世界J・ウェルター級王者になるプライアー。アマではどんな戦いぶりだったのか? 「KRONK」のタンクトップ姿のハーンズ。セコンドにはスチュワード。試合は意外なほど一方的。ダッキングしながらプライアーがひたすら前進。右ストレート、左右フックの嵐。ハーンズは足で距離を取りながらワンツーで応戦するが、ダッキングされてヒットせず。アマチュアの試合とは思えないほど好戦的なプライアー(後にプロで見せる試合ぶりと同じ)。ハーンズを追い回し、2Rには左フックからの右ストレートでスタンディングダウンを奪う。3Rもプライアー優勢。判定は文句ナシ。この当時のアマチュアの試合はヘッドギア無し。ラウンド数以外はプロと変わらない。「ハーンズよりプライアーの方が強い」「プロで対戦していたとしてもプライアーが勝っていただろう」という意見を持つ人はこの試合が根拠となっている。)

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