世界の名ボクサー:シュガー・レイ・レナード①「超特急と呼ばれた男」

80年代のスター。世界5階級制覇王者。デビュー当初の試合。ルイス・ベガ戦、ウィリー・ロドリゲス戦、フランキー・サントール戦、アウグスチン・エストラーダ戦を紹介します。

シュガー・レイ・レナード(アメリカ)
身長178cm:オーソドックス(右構え)

①シュガー・レイ・レナード 6R 判定 ルイス・ベガ
(ウェルター級戦、1977年)
(感想:サウスカロライナ州ウイミルトン出身のレナード。兄や従弟もボクサーになった「ボクシング一族」。本名はレイ・チャールズ・レナード(母親がレイ・チャールズのファンだったため)。物静かで内気な少年だったが(トーマス・ハーンズもそうだった)、兄に誘われて13歳でボクシングを始める。そしてモントリオール・オリンピック(1976年)に出場し、ライトウェルター級で金メダル(レオン&マイケルのスピンクス兄弟、ハワード・デービス、レオ・ランドルフも金メダル。アマチュアボクシングが熱い時期だった)。ボクシングはアマチュアで辞めるつもりだったが、親が病気に。さらに、結婚はしていないが幼い息子がいるといった事情もあり、家族を支えるためプロ入り。また、「金メダリスト」と言ってもオリンピックが終われば世間は無関心。メダルで食っていくことはできない、というのもプロ転向した理由。マネージャーはあのアンジェロ・ダンディ(モハメド・アリのトレーナー)。プロ入り後は快調。それと同時にスーパースター、モハメド・アリが衰えていき、「新しいスター」を常に求めるボクシング界にとってレナードは「貴重な財産」となっていく。ベガ戦はそんなレナードのデビュー戦(デビュー戦にしては破格のファイトマネー5万ドル)。ベガはプエルトリコ出身らしく、このところ連敗中。メリーランド州ボルチモアでの一戦。白いトランクスのレナード。赤のベガは見た目が「小型ジョージ・フォアマン」といった感じ。レナードがアリのようなフットワーク&ジャブ。非常に慎重な姿勢で相手と距離を取ってワンツー。ベガはダッキングしながら前進してフック。しかし、ジャブを使わないためパンチが当たらない。接近戦でレナードが左右ボディアッパー、コブシを回すパフォーマンス、「打ってこい」のアピール。4R、激しい打ち合い。6R終了。笑顔で勝利をアピールするレナード。判定は3-0。レナードがジャブで手堅く勝利。全体的に慎重姿勢でKOはできなかったが、パンチのキレはあった。その後のベガ。フレディ・ペンドルトン(後、IBF世界ライト級王者に)に判定負けするなど負け負けに負けてキャリアを終えた。)

ここから先は

1,985字
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?