世界の名ボクサー:バルバドス・ジョー・ウォルコット("Barbados" Joe Walcott)「悪魔と呼ばれた男」
バルバドス・ジョー・ウォルコット("Barbados" Joe Walcott)
1873年3月13日~1935年10月1日(または10月4日)
①経歴
「ジョー・ウォルコット」と言えばヘビー級でジョー・ルイスと戦い、エザート・チャールズをKOして世界ヘビー級王者になったジャージー・ジョー・ウォルコットを思い出す人が多いと思うが、今回紹介するのは「黒人初の世界ウェルター級王者」になった「バルバドス」ジョー・ウォルコット(「ジャージー」の本名はアーノルド・クリーム。「バルバドス」に憧れ、「ジョー・ウォルコット」を名乗るようになった)。イギリス領ギアナデメララ(現在のガイアナ)出身。幼い頃にバルバドスに移住し、国籍はバルバドス。ニックネームは「バルバドスの悪魔」。体格差が大きい相手とでも試合する激しいファイティング・スピリットから名付けられたそうだ。世界ウェルター級王座を獲得したが、身長は何とたったの156cm(リーチ165cm)。軽量級の選手並に小さい。世界ウェルター級王座を19度防衛したヘンリー・アームストロングは身長166cmだった。このことは「ボクシングには身長は関係ない」ということを意味しているのではないだろうか?
②プロ活動
15歳でアメリカへ。ボストン港で荷役夫の仕事など重労働(これで基礎体力がついた)。アマチュアでボクシング、レスリングを経験(州の王者になったことも)。人柄は気さくで、周囲とも良好な関係。プロでは小さい体にもかかわらず大きい相手にも負けなかったウォルコット。当時の有色人種ボクサーであるジョージ・ゴッドフリー、ジョージ・ディクソン、サム・ラングフォードなどと並ぶ実力選手に。その強さからマネージャー(トム・オルーク)は試合を組むのに苦労したという。プロデビューは1892年10月15日、フィラデルフィア。4ラウンド判定勝ち、とある。勝ち続けたが、ニューヨークで判定負け。1894年4月19日、ボストンでトム・トレーシーを16ラウンドでKOして140ポンド級世界王座獲得(どうやら「マイナーな世界王座」らしい。地域が独自に王者を認定していた時代にはよくあった。その傾向は現在でも変わらない)。1895年3月1日、ミステリアス・ビリー・スミスとドロー。12月2日、ジョージ・ラビーンとアメリカ・ライト級王座戦。「KOされなければラビーンの勝ち」という取り決めがあったらしく、ラビーンの判定勝ち。1897年10月29日、ラビーンと世界ライト級王座を懸けてサンフランシスコで対戦したが、12ラウンドTKO負け。1898年12月6日、ビリー・スミスと世界ウェルター級王座を懸けてニューヨークで対戦。20ラウンドで判定負けしたが、両者ともリミットを超えた体重だったという(ノンタイトル戦?)。1900年2月23日、ニューヨーク。経験のあるヘビー級実力者ジョー・チョインスキー(ユダヤ系)を7ラウンドでTKO。賭け率では圧倒的にチョインスキーだったが、ウォルコットの速攻でチョインスキーはダウンを食った末に最後はレフェリーに止められた。後にチョインスキーはあのジャック・ジョンソンをKO。いかにウォルコットが凄かったかを物語る試合となった。8月27日、ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」でトミー・ウェストに11ラウンドで棄権TKO負け。優勢に試合を運んでいたウォルコットだが、「左腕を負傷した」と主張してリタイア。八百長を疑われ、ファイトマネーは慈善団体に寄付された。1901年1月17日、キッド・カーター戦。クリンチ中の攻撃により19ラウンドで反則負け。サンフランシスコでカーターと対戦し、今度は7ラウンドでKO負け。強いウォルコットだが、相手との相性が悪かったか? 1901年9月27日、サンフランシスコでジョージ・ガードナー(アイルランド)に20ラウンド判定勝ち。体格で勝るガードナー。体格差のせいでクリンチやレスリング行為が多い展開。ウォルコットが攻撃的な姿勢でダウンを奪って快勝。後、ガードナーは世界ライトヘビー級王者になった。
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