他人が家にいる居心地の悪さ。
私が今でも継子が苦手なのは、結局のところこれだと思う。向こうにしたら、私の方こそ勝手に家に住み着いた他人。お互い迷惑な話だ。
そこは分かってるんだ。でも、もう私の家でもあるんだ。だからこそ干渉しない。小学生の頃はさすがに教育上の理由で、会話やら挨拶やら、形式的に努力はしてきた。でも思春期に入り、大層面倒な時期を迎え、ある一定のところから、家庭内の挨拶すらやめた。
夫がいると何となくはする。
夫も子どもに私に向かってさせようとする。そして一応はする。
そう、とどのつまり夫という人間の存在、一点において我々は仲間なのだ。だから、夫(父親)が望めばするし、彼のためにできることは私も子どももできる範囲でする。
でも、私と彼らとの繋がりは薄氷くらいでいいのだ。
思春期男子と話すことがないと友人に話すと「あっちも30半ばのおばさんに話すことなんかないよ」と言われた。
ああ、ごもっとも。
別に話さないことを罪深く思う必要もないのだ。
必要なときに、必要な会話をする。彼らが求めてきたら出来ることは返す。
ニコニコなんて出来ない。
食事中は食事に集中して、よく噛む。
ド近眼だから、コンタクトは外してメガネもこそっと外して、何となく適当に相槌してれば、彼らの食事なんて一瞬で終わる。
間食し過ぎて食が進まないときは面倒だ。
そういう時は言ってくれれば減らすのにそれもしない。食事の時間は苦痛だ。
それでも、席替えをしたら夫に
「世紀の発見だ」と褒められた。
大人と子どもが向かい合わせだった食卓を、大人同士、子ども同士で向かい合わせにした。私は食事と夫だけを見れば済む。必要があれば少し視野を広げればいい。
子ども同士はそれはそれで会話が弾む。
この変化は、簡単そうでとても難しくて5年以上も掛かってしまった。もっと早くやれてたら、私も子どもも夫も、もっと早くラクになれていたかもしれない。
好きになれない他人とは、家の外でも中でもできる限り、ほどほどの距離を置くのがお互いのためだ。
お母さん、なんて呼ばすのも呼ばれるのももってのほか。
そのことはまた今度。