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一歩進んで二歩下がる。でも、また半歩進もうとしている

このnoteは、私の癒しにも使わせていただいている。

進学で継子らと別居を果たした私は、毎日がハッピーライフ。
先日、100日を超えたところ。1日1日が大事で、愛おしい。

こんなにも前向きな生活ができるのか!と自分自身に驚くほどの充実ぶり。筋金入りの寝坊助が、まさかのモーニングメソッドを習慣づけられたりして、自分の可能性にわくわくする毎日。

でも、そんな幸せな日々も残念ながら定期的に横ヤリが入る。
それが帰省だ。

用事や事情で、どうしてもこちらに宿泊することがある。
まだ未成年、仕方がない。でも、それが突然だったり予想以上の長さだったりもする。そもそも羽を広げて日々を謳歌している空間に、異分子が入ること自体がストレスなのだ。

頭では分かっていても感情が一気に負にかたむく。
あれほど力がみなぎっていた心と体が、重苦しい何かで覆われいく。理屈じゃないのだ。

それでもその重厚な何かに押しつぶされないよう、抵抗したい気持ちが今はある。それで、作ったのがこの場所なのだ。


継子のことでストレスを感じたら。住空間という極めてパーソナルで大切で毎日大事にしている場所に踏み込まれる圧倒的苦痛(その考えた方を手放す日がくればとは思うのだが…)をすこしでも紛らわすために。
私が勝手に作り上げるストレスを継子にぶつけずに済むように。

そのために、こうして感情をリリースする場を作った。
エラそうなことを書いても、実情はそう。でも、負の情動にとらわれ続ける苦痛を手放したい。何かに昇華できれば。ふいに誰かのかすかな癒しになった日にはそれこそ苦しんだ私が癒される。そう思った。
実際、読んでくださる方が1人でも2人でもいることを知れるだけでも紛れもない慰めになっている。


前回の帰省時にはうまいことスルーして、ここに来ずに済んだ。
でも今回は違った。どうしてもずっと気持ちが重い。

だから、ここを開けた。書くこともまとまらず、ただ自分の過去のエントリーを読む。読めるものはまだ数本。たったそれだけ。それでも、どうしたことか少しだけずしっとした重みを軽く感じるようになる自分がいる。
ふしぎだ。過去の自分がなぐさめてくれた。

嫌なことの多い時代だけど、この点に於いてはいい時代に生きてるなと感じられる。そうだ、そうやって泥の中から一輪の蓮のつぼみを見つけるように、今日も明日も、今回の泥シーズンを平穏に過ごしていこう。圧巻の美しい日々を知っているから。

・ ・
こう書き終えて、みなさんが共有してくださる写真を選ばせてもらっている間に、さらにふっと軽くなる体感がある。馬鹿げているかもしれないが、感情とは自分の世界だとすると、ここまでの効用があることは特筆すべき経験だと思う。書いている人はきっとよく知る感覚なのかもしれない。
これを味わせてくれた人・こと・仕組みに本当に感謝。

私は今日も自分を保って生きていけそうです。

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