18
青春18きっぷを買った。今も知らない街へ向かう電車に揺られている。名古屋での生活は殆ど地下鉄で事足りてしまうが、風が通り抜けるような田園地帯や山村を走る電車に揺られる方がずっと好きだ。大抵の人間にとってはそうなのかもしれないけど。本当は地下鉄なんか乗りたくない。一切外が見えない鬱屈とした箱に押し込められて、あんなの単なる輸送手段でしかない。と言いつつも、高校生の頃は地下鉄なんて敷かれているはずもない日本海側の街で、"地下鉄がある生活"に憧れを抱いていた。詰まるところ、ないものねだりでしかない。
18歳の頃、名古屋に降り立った。今思うと18歳が一番生きている感覚があった。単に受験期だったから打ち込めるものが目の前に指定されていたというだけの理由だとは思うが。全部が上手く行ったわけじゃないし後悔だっていくらでもあるけど、それでも愛してやれるくらいあの季節を楽しんでいた。あの季節に関わった人々のつながりは一生ものだと自分の中では信じていた。そうこうしている間に高校を卒業して大学生になった。大学生活と(相対的)都会暮らしに対する憧れなんて3ヶ月くらい経つ頃にはもう薄らいでいた。気づけばこの生活も2年目に差し掛かかる今、現状抱えているのは郷愁と東京への強い憧れくらい。足ることを知らない。でも地元に残ったところで毎日が退屈に感じて、東京に住めば東京を嫌いになる未来が見え透けてる。結局のところ日常が嫌いなんだろうな。日常になってしまうと何に対しても有り難がれなくなるのは、考えてみれば普通のことで。足りないくらいがちょうどいいんだと痛感する日々だ。
"青春18きっぷ"と銘打たれたものを握り締めてどこか遠くへ向かおうとしているが、20歳1ヶ月、青春なんてどこにあったのか知らない。多分この先も見つかることはないんだろうなと思いながら、どう考えても"普通"よりは無彩色でしかない高校時代が煌びやかに見えてしまう。風の匂いとか暖かさとか、"あの頃好きだった音楽"とか、そんな取り留めもない感覚だけですぐに"あの頃"を回想してしまうくらいには重度のノスタルジアに入っているここ一年ほど、取りに帰れない忘れものばかり探し求めてしまう。別に今は今でそれなりには楽しんでいる。友達も多くはなくとも少なからずいてくれているし、趣味と言えるものも少しばかりあって、心から好きだと思えるバンドもいくつか出会えている。少し前までは学祭の運営に携わっていたので半年近くいくら時間があっても足りないくらいには忙しく過ごしていた。充実とは到底言えないまでも、ただ空虚に過ぎていくだけの毎日ではない。それでいて引き摺る価値もない過去に取り残されたように生活しているのも、結局はある種のないものねだりなのだろう。
久々に鈍行の電車に揺られているとまた高校時代を回想したくなった。あの頃は田園地帯を走る15分ほどの電車の中で、よくnoteに適当な雑記を書いていた。ふと思い出して何か書いてみたくなって、アカウントを作り直してみた。当時のnoteなんて拙文すぎて読むに堪えないから殆ど削除済みだし、20代に突入した今も人様に読んでいただくに値する文章を書ける能力が備わっているなんて到底思ってもいないが。とりあえず折角の大学生の夏休み(世間的にはもはや晩夏にあたるが)、鈍行に身を預けて、単身知らない街に足を踏み入れる予定でいる。"日常になってしまわない程度の非日常"を探している。
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