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始まりを告げる魔法

涙の跡つけたまま うなだれて歩く帰り道
頭の中の九割五分が口を出ずに困っている

オレンジ/sumika

 自分のことは全然好きじゃない。好きか嫌いかで言うと"どちらかと言えば嫌い"くらいに当たる。他人からはもっと自分に自信を持てって簡単に言われてしまうことが多いけど、自分からすれば自信を持てる要素なんか一つも見つからないし。"格好良くスマートに生きられたら"。ずっとそう願いながらもそれとは程遠い現状で特に変われないままもう20歳になって、形だけ大人になってしまったらしい。ただ、帰る場所を探している。どうしようもない自分を受け入れてくれる先を。居場所が無いわけじゃないけどずっと人寂しくて、人と比べてしまうから劣等感ばかり育っていって…。自分を嫌うことしかできない自分を余計に嫌いになっているんだろうなと最近になって気づいた。自分のことは嫌いだけど、そんな自分だからsumikaを好きでいる人生を選べたのかなとか思ったら、少しだけ自分に感謝してやらんこともないかも知れない。少しだけ。

 冒頭から何を独白してんだって感じだろうけど、要約すると、私はsumikaというバンドが大好きだ。そりゃ人様から見たら私の"好き"なんてその程度のものでしかないとか思われるのかもしれないけどさ、でもあたしにとってはsumikaは帰る場所だし、居座っていい場所だし、どうしようもなくなった時にふらっと立ち寄れる場所なの。それだけは誰かに否定されるようなことではなく確かなの。

 sumikaを必要としているすべての人にとって優しく包み込むような居場所でありたい ——— sumikaが各所で再三語ってきたsumikaというバンドの理想像でもあり、sumika(住処)というバンド名に込められた想いでもある。一人一人違った背景があって、置かれている環境もその時々に抱いている感情も一つとして一緒ではないけど、sumikaは全部引き受けて、どんな人にとっても変わらず居場所であってくれる。だから自分はsumikaが好きだし、sumikaを必要としているんだろう。sumikaに頼ってばかりの生活も既に5年以上続いているだろうか。あたしの10代はどの部分を切り取ってもsumikaの音楽が劇中歌だし、それくらいsumikaがあたしの人生を彩ってくれている、なんて色んな所で言い続けてると気づいたら10代は終わって、それでも変わらず、どころか日を追うごとにsumikaへの好きは強くなる一方。やっぱりあたしにはsumikaしかいないし、sumikaが受け入れてくれてるからこんなザマでも恥ずかしげも無く生きていられるんだろうね。

 せっかくこんな好き放題書いても誰からも咎められない素敵な場所があるので、あたしのsumikaへの恋路をつらつらと書き綴ってみたい。簡潔に文章を纏めてることが基本的にできないので有り得ないほど冗長になると思いますが先に謝るだけ謝っておきます。

 2018年、自分が14歳の時に観た映画『君の膵臓をたべたい』の主題歌だった『ファンファーレ』と『春夏秋冬』に出会ったのがたぶん、sumikaとの初めての遭遇だったのかな。全然、運命的な出逢いみたいなそれでも何でもない。でもこんなどうでもいい出逢いの一つを取っても、片岡健太がよく口にしている"縁"がもつれた結果なんだろう。初めて聴いたこの2つの曲を何故かあの一瞬で好きになっていた記憶がある。その頃の私は周りと比べても音楽に対して一切興味を示してなくて、ドラマやアニメも殆ど見てこなかったから好きな音楽すらなかった。そう思うと、あれが当時能動的に音楽を聴こうとした瞬間なんて1秒もなかった14歳の少年が味わった音楽への初恋だったのかもしれない。思い返せば程度はどうであれ、その頃から既に少なからずsumikaを好きでいた。

 とは言え中学時代は親のスマホを借りてYouTubeで『ファンファーレ』や『フィクション』、『MAGIC』など一部の好きなMVを偶に見る程度だった。そして高校入学のタイミングでスマホを買い与えられ、同時にSpotifyユーザーの仲間入りを果たしたことで、それまでとは打って変わって暇さえあれば音楽を聴く、少なくとも流しているような生活が生まれた。新しい音楽にも次々と出会っては、手垢塗れだが本当に世界が広がっていく感覚を享受している気分でいた。好きなバンドは増え続けていったけど、それでもsumikaは変わらず自分の中で唯一無二の存在で、いや、寧ろこんな生活の中でsumikaを知れば知るほどsumikaへの恋慕が強まっていった。端末から聴こえてくるsumikaの声と音に心揺らされる日常が続き、いつかライブに行ってみたいと思いながらも、片田舎の高校生がライブなんてそう簡単に行けるはずがないと思い込んではディスプレイに映るMV上でのsumikaに想いを馳せるより他なかった。

 そんな中で2022年5月くらい(?)、自分が高3の時にたしかツアー『Ten to Ten』が発表されたと思う。この頃には私のsumikaへの感覚はもう"好き"とかじゃなく、"居場所"だった。散々な1日の終わりには『オレンジ』を聴いて、奮い立たせたい朝には『10時の方角』を聴いて、憂鬱を振り払って進まなければいけない時は『アルル』を聴いて…。こんなことを書き出したら枚挙に暇がないが、何かあると決まってsumikaという居場所に帰り、寄り添ってもらうことも背中を押してもらうこともあった。sumikaの楽曲全部が私の人生の劇中歌だと気づいたのはちょうどこの頃だったと思う。sumikaへの好きが加速し続ける中で解禁されたこのツアー、なんと私の暮らす街、富山に足を運んでくださるという私にとってはこの上なく衝撃的で喜ばしい報せだった。

このビジュアル、未だにはっきりと覚えている。

 11月11日、会場はオーバード・ホール。この年の5月に同会場でマカロニえんぴつのライブを見た。あの時ですら好きなバンドが自分の街にツアーで来るということは信じ難かったのに、それが自分にとって特別なsumikaのライブとなると、その程度の衝撃では済まない。二度とないかもしれないこの機会、行かない手は無いように思われるが、当時の自分は色々と考えた末に断念した。懸念点はただ一つ、あまりにも受験期の真っ只中すぎる。結局行かないを選んだこの選択はどう考えても正しいとは思いながらも、折角sumikaに会えるチャンスだったのにという後悔は日に日に募っていった。sumikaに対する感情が最早普通にバンドに対する"好き"とかそう言うのじゃないと気づいてしまうと、更にsumikaが自分の中で唯一無二で大切な存在になっていったし、受験期もずっとsumikaに救われ続けてきた。私とsumikaの受験期に関しては、当時書いた文章が拙文ながら残っていたのでこちらを。

 あとついでにもう一つだけ。高3初期の頃の私が記したsumika論。音楽に対する見識もsumikaファン歴も浅い割に一丁前に何か書こうとしているので支離滅裂なことも多く言ってる気はしているけど、当時、sumikaというバンドを自分基準大好きだった17歳の少年がsumikaに対する思いを言語化してみただけのものなので優しく大目に見てやってほしい。

 大学生になってすぐ、横浜スタジアムで4時間近くに渡り行われたアニバーサリーライブ『Ten to Ten to 10』は端から行くかどうかすら考えていなかった為、指咥えて情報を追うだけだったが、ライブ後に2つのツアーが同時に発表された。2023年後半にライブハウスツアー『SING ALONG』(以下「シンガロ」)、もう一つが2024年前半のホール・アリーナツアー『FRIDAY CIRCUS』(以下「フラサカ」)。ここで今になって考えると当時の自分は何を考えていたのかと責めたくなるが、当時の自分は両方行くことは無理だと決めつけて(今考えれば無理してでも両方行くべきだった)、年内にsumikaに会うことを希望として生きる為にも、最初の先行ではシンガロのみ申し込んだ。無事、11月27日のZepp名古屋公演に当選し、前回悔やみつつ流してしまったあの日から1年越しのsumikaリベンジになると思っていた。それに加えて、12月に広島で開催されるイベント『結びの夢番地』への参加も決めた。ちょうど広島に行ってみたかったし、言うまでもなく大好きなsumikaと、それに負けず劣らず大好きなクリープハイプ、その頃自分の中で急上昇中でライブを見たいと切望していたosageの3組を1日で味わえるなら、かなり遠いけどこれこそ行かない手はなかった。

 年内で2回もsumikaに会えると信じて心弾ませていた最中、少し悲しい一報が。片岡健太が喉の不調から休養するとのことで、年内のツアーは全て延期となった。そればかりはどうすることもできないし、延期が悲しいのは自分なんかより片岡さんやチームsumikaの方だし。でも、そこから驚くべき続報が。既に出演が決まっているフェスやイベントに関しては、小川貴之がVo.を務めるsumika[roof session]として出演するとのこと。過去にも片岡さんが休養した際にはsumika[roof session]が稼働したことがあったとは聞いていたけど、まさか5年以上の時を経て、再び動き出すとは。sumikaを必要としている人がいるからこそ、sumikaは誰1人置いていくことなくそれに応えてくれる。なんとしてもsumikaとしての歩みを止めないチームsumikaの信念は最高にかっこいい。(夢番地の感想はいずれ別記事で書きます。絶対に。)

 そして2024年、フラサカ期間中は本当に何故申し込まなかったのかと一生後悔しながらも、CDの特典のBlu-rayたちを飽きる程見返して、これほどまでにsumikaを好きで居たはずなのに未だ気づけていなかった新たな魅力にも次々と気付かされて、昨日9/3、ようやく1年越しのZepp名古屋で、富山で観るはずだったライブから数えると2年越し、sumikaへの初恋から数えると6年越しに、初めてsumikaのライブを目の当たりにした。

 本当は昨日のライブの感想を書こうとして筆を取ったにも関わらず、先に私とsumikaとの恋路について先に軽く触れておこうとしたら、軽くどころか何処までも膨らんで行きそうな気がしたので、もういっそ前置きとして別の記事に書くことにした。これでも簡潔にしようと言う心意気はあったのに、結果として自分で読み返すのも面倒なほど長いだけの乱文だし。あと多分恥ずかしいことしか書いてないから読み返せない。大学の後輩とかにバレませんように。絶対誰も最後まで読んでないだろうけど、読む価値のある文章でもないから別にいいよ。でもここまで冗長になってしまったということは、あたしとsumikaとの時間だったり、sumikaに対する想いだったりもそれくらい軽く言葉にしちゃえるようなものじゃないのかなって思えてちょっとだけ満足しちゃった。

パレードをさ やめないのさ
枯れるまで声を鳴らし合ってさ
幸不幸じゃないの 相希望がいいよ

Phoenix/sumika

 いつ立ち寄ってもいいし、いつ立ち去ってもいい。どれだけ遠くにいても、また帰ってきた時には同じように優しく迎え入れてくれる。『雨天決行』『アイデンティティ』『祝祭』『New World』そして『Phoenix』と、sumikaが足を止めないといつも宣誓してくれる以上、sumikaという物語がずっと続いていくと確信してしまうし、あたしも含めて、sumikaに救われ、sumikaを頼っている1人1人が、sumikaという物語の一員で居られるんだろうなと、今日も信じている。わかんない。あたしもう20だけど、全然sumika愛は止んでない。多分この先もずっと、劇中歌はsumikaが手掛けてくれるんだろうな。帰る場所があるだけ幾分かは幸せなはず。片岡さんは「自分を嫌いにならないで」って昨日も言っていたけど、私にとってのsumikaは、いずれにせよ嫌いなままの自分を預けられる、そして受け入れてくれる場所なのかなって、昨日初めて片岡さんの声を肌に受けて感じ取りました。

p.s. この熱が冷めやらぬうちに昨日のライブの感想を書いてしまいたい…

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