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また風が吹いて思い出したら

 ちゃんと変わらず、大好きな場所だった。ノイズ塗れの市電の中で揺られながら、"あたしの愛した街だ。"とか独り呟きそうになるくらいには。

 もう9月…。そんなこと考えたくもない。気付かないうちに夏が居なくなってしまうのはいつものこと過ぎて今更咎める気も起きないけど、夏は好きじゃないって言っている割に夏が終わることには普通に寂しさを感じてしまう。寧ろ訪れは盛大なくせに去り際は何も言わなくて寂しさしか齎さないから夏が嫌いなんだろうな。"夏のせい"って何なんだよ、夏だからって何も状況は変わりはしないよ。

 そんな夏の終わり、とは言いつつ大学生の私にとってはまだまだ夏休み気分な今日この頃、久々に故郷・富山に降り立った。ちゃんと時間をとっての帰省は年始以来。18まで過ごしたこの街に帰って来る度に、あの頃の足蹠が愛おしくなって追いかけてしまう。毎日の通学で乗っていた電車も、幾度となく歩いた高校の周り一帯も、たまに遊びに出掛ける駅前と中心商店街も。別に人様と比べて煌びやかな高校生活を送っていたとは到底思わないけど、それでも私にとっては愛すべき時間だった。未だにあの頃に戻りたいと切望してしまうほど。そう感じてしまうのも、自慢できるほどではないにしろそれなりに人との縁に恵まれていたこともあるし、16〜18歳という時間の生き方を、sumikaやマカロニえんぴつを始めとする大好きな音楽たちが教えてくれていたからというのも一つの理由だと思っている。あの頃過ごした場所も、自分を取り巻く人間たちも。あの時間の全てが好きだった。

 高校時代、基本的には孤独が嫌いで人と話すことが好きだったから誰かと居る時間を大切にしたがっていたが、その一方で独りの時は宛ても無く歩くことが好きだった。外を歩く時間、誰かと一緒に居る場合を除いて殆ど音楽を聴いていた。特に受験期の休日は高校の自習室か偶に街中に出向いて、一日中室内に籠って勉強するのが日常だったが、昼頃に1時間ほど、外の空気に触れる為に目的地を決めず歩き回った。勿論その時々で違った音楽を聴いていた。集中力が無い為でもあるが、他人からすれば無駄な時間だとしても自分にとっては必要だった。

 過ぎ去った愛すべき時間を回想しながら、愛した街を歩く。この場所で聴いていた音楽と、この場所を歩いた時の気候だったり天候だったり、あとそんな音楽や場所に結びつくあの頃の自分の感情だったり出来事だったり、更には誰かと交わした言葉だったり ——— 身に覚えのある場所一つ一つに、どうでもいい記憶が括り付けられているせいで、何処を歩いても必要ないノスタルジーが始まってしまう。それくらい、自分の生活の中で音楽が鳴っていた。好きだった音楽に触れると、その音楽を聴いていた場所や季節の記憶が呼び戻されたり、逆に懐かしい場所に行き着いた時にその場所で聴いた音楽を思い出したり、風の匂いとか日の入りの早さでおよそ一年前のこの季節のことを思い出したり。そんなことは別に自分に限った話ではない、ありきたりな感性だと思っているけど、周りの人間に話すと共感されないことも多くて、意外と全人類に共通する感性ではないみたいだ。でも、別に普通のことだと思う。少なくとも自分は、そんなどうでもいいことを思い出してしまう時間が好きだ。若しくは"あの頃"が私にとって思い出したくなるくらい好きな時間だったのかもしれない。

 9月、まだ暑さは和らいでいないのに、何故かこの街に春を感じた。理由は分からない。別に気候が春だったわけでもないし、当然のように桜も咲いていない。単に春が好きだったから、春に思い入れが強いから、とかそんな理由かもしれない。或いは郷愁と惜春の見分けもついていないだけかもしれない。でも一つ、あの頃と同じように高校近辺や市電沿いを歩いて気づいたことがあった。晩夏のこの街に春を感じた理由、春はsumikaが似合う季節で、この街は(自分にとって)sumikaが似合う場所だからなのかなと。

 "春が好きじゃない"と片岡健太が語っていたことを思い出した。勿論、sumikaだって春の歌ばかりではないし、春以外の季節の歌だってあるけど、あくまで自分にとって、sumikaの音楽が一番似合う季節は春だと感じている。『春風』『アルル』『10時の方角』『Starting Over』、そして『晩春風花』などなど、sumikaは春への憂いも期待も後悔も余すことなく言葉に変えている。だから、例えばもし私が少し暖かくなってきた春先に手紙を書くとすれば、書き出しは「ふとsumikaを聴きたくなるこの頃、———」くらいがちょうどいいかもしれない。春はsumikaが私に教えてくれた感覚だった。私にとって春は暦の上で定められた季節ではなく、sumikaがくれた"あの頃"の時間とその中で得た微細な感覚のことだったのかもしれない。(でも肌寒い冬はそれはそれでsumikaの暖かさを求めてしまうし、夏は鬱陶しいからsumikaに奮い立たせられて乗り切らなきゃいけないんですね。結局のところ、sumikaはオールシーズンなんですね。)

 あたしにとっての"戻りたい春"はこの街に置き忘れたものだと思っていた。でもそれは、目には映っていて、肌で感じることはできても、それだけじゃ手に取ることはできない忘れ物だと気づいてしまった。幾ら願ったってあの頃には戻れるはずもなく。場所と音楽への記憶が"あの頃"を思い出させてくれたって、"あの頃"は帰ってこないんだと実感しちゃうだけ。それでも、そんな無意味な行為を未だに好んでいる。きっと、また次の春へ歩く為に必要な時間なんだって、今は信じていたい。

 この街を去ってもう2年目にもなれば当然、変わりゆくものであって。sumikaのアルバム2枚(『AMUSIC』と『For.』)を買った国道沿いのTSUTAYAは撤退して、今は知らない住宅展示場ができていた。昨年まで毎年桜を見に出向いていた城址公園や周辺の川沿いは年始の地震で崩れて、今は工事が入っていて景観も何も無かった。何故かずっと好きな環水公園も工事中だったし、中心商店街のうち一つは再開発の為に片側が失くなっていた。目に見えるものは少しずつ変わって行っても、"あたしの愛した街"は消えてなんかいなかった。確かに思い返す記憶があるうちは、そう確信できる。

 駅の構内にあるマックとサンマルクには夕方になると制服を纏った高校生で溢れかえって昨日も今日も賑わっていた。高2くらいまではあたしもテスト期間になると友達とあの場所に行って勉強したりしていたけど、制服なんかとうに剥奪されたあたしは今となってそんな若さが羨ましく思えて、なんか急に悲しくなった。市電沿いの風景もやっぱり思い入れがあって、よく市電に乗っていたことも、偶に市電沿いを歩いたことも思い出して泣きそうになる。夕暮れ時に堀川小泉の歩道橋の上でindigo la Endの『春は溶けて』を聴きながら深呼吸して明日を受け入れようとしていたことも、南富山の反対車線に渡る為だけの短い地下道でクリープハイプの『陽』を聴きながら今を愛する為に自分に言い聞かせていたことも、高校から南富山駅までのたった5分ほどの帰り道でsumikaの『オレンジ』を聴いて涙が出そうになっていたことも、もはやルーティンのようなもので、生活に根差していた。何処を切り取っても、大好きな時間と大好きな場所の欠片が落ちていた。

 そんな"あたしの愛した街"で過ごしたのもたったの4日だけ。一瞬すぎてまたいつもの街に戻ったらいつもの郷愁が始まっちゃいそう。高速バスに乗って辿り着いたこの街は狂いなく晩夏の色合い。どうせ"戻りたい春"には戻れないんだったら、"この街の好きなとこ"だって早いとこ見つけないとね。

p.s.地元の鈍行に乗っていると、昔はよくこの電車でどうでもいい感情たちをnoteに書いていたなと思い出しました。もうほぼ全部消しちゃったけど。

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