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king of pop 2018/9/9 Artist紹介⑧  田中宗一郎 メールインタビュー【ホンデの/幕張の/武蔵野の/タナソー】

…国木田独歩が『武蔵野』を描き、島崎藤村が『破戒』を描き、田山花袋が『布団』を描くことで、日本の近代文学は始まった。それは日本人における「内面」の発見だった。なんの関係が?うーん、今年、高橋源一郎の小説『日本文学盛衰史』のエンゲキ版が平田オリザ演出であって、それを見たんだよ。ていうか、それを見るために学生時代100ページくらい見て積読しといたこの本を読んだわけ。それで舞台を見て、結構平田オリザが当日パンフレットですごいこと書いてたりする。明治の文学者は日本のために小説を、散文を書いてたってね。どっひゃー。え、どひゃーってなりません?まあそれはさておき、要は、文学者が提唱するまで、言葉においての話だが、日本は、「内面」の発見がない、つまり「内面」「こころ」のない時代ってものがつい最近まであったということなんすよね。そりゃおどろきだ。

そんな「内面」を生みし場所、武蔵野で今、田中宗一郎御大はひっそりと
毎日暮らしている。まあ、仕事はしているらしいが、会うたび、例えば、
「俺は10年生きちゃいないぞー癌が見つかったら治療はしないぞー」
などと相変わらずだ。そういう元気ある人に限って死にませんから。

マイペースにDJやクラブスヌーザーは営業中といったところだが、
タナソーウオッチャー10年選手の俺にとって、ちょっと「お」と思うタナソーの動きがあった。一つは今回ベストと肩入れしサインマグで特集も組んだサマーソニックの動き。そしてケンドリック・ラマーを見に、珍しく韓国まで遠出したことだ。(これはいつものことだが)そこから更に茅ケ崎でaikoをいつものように見に行き、彼の2018年の夏は終わったようである。

熱海でtomadと話し、韓国/幕張と動き回ったタナソーでこのking of popの紹介を〆る。周到に「中心」(≒真実?そんなまさか)を回避し、ポップミュージックの「内面」を狙う。そんな試みを今回のking of popでは行っているのかもしれない。わからない。自分が今回のラインナップに、一番疑問をもっていたりもする。本当だ。何故?理由より行動が先立っている。

「質問の意図が汲めなかった部分がかなりあるので、取り敢えず自分の文脈で答えますね。」
と前置きしてタナソーはメールインタビューに答えてくれた。
相変わらず歯に衣着せない。だってこの人は、誰かに許されようなんて、
思っちゃいないからだ。

―サマーソニックで目撃証言をよく見かけました。その異様な足の速さになかなか会話できなかったという人が多かった模様です。

田中宗一郎(以下田中・敬称略):
申し訳ない。徒歩で移動する時に考えごとをする癖があるんです、昔から。速く歩けば歩くほど意識が研ぎ澄まされる感覚があって。ははは。
タバコ吸いながらだと、さらに至福。
DJブースの中でチェーン・スモーク状態の時と、歩いている時が、普段だと手が届かない場所にリーチ出来るような感覚があるんですよ。
コリン・ウィルソン言うところの積極的フィードバックって状態。
首の持病が悪化する前は、数時間ひたすら何かを書き続けてる時にもあった錯覚なんだけど、今は1時間机に向かうと激痛が出ちゃうので、もうかなわないんです。なので、歩く時はとにかくサクサク歩きます。

―サマソニで見たアーティストはどうでしたかね?


田中:
ビリー・アイリッシュ、最高でした。今年の夏のベスト・アクト。
どこか今年の夏に観たアクトの大半はここ何年間かの答え合わせのような感覚があったんですけど(この夏、二番目に良かったテイム・インパラにしろ、チャノにしろ、ケンドリック・ラマーにしろ)、彼女のステージは唯一いまだ現在進行形の名付けえぬものに立ち会ったという感覚がありました(観客とのコミュニケーションはほぼ成り立ってなかくて、本人ゲラゲラ笑ってましたが)。
ただ、彼女自身のストーリーだけでなく、時代が共有しうる可能性を持ったナラティブがいくつも提示されていた、という感覚もあり。彼女のステージを2018年夏に観れて本当に良かった。
あと、パラモアが最高でした。デボラ・ハリーが従えたトーキング・ヘッズ状態になってて、ロック・バンドとしては間違いなく白眉。

―音楽のアクト以外で、あの幕張で思ったことはありますか?人の入り、空気感、、なんでも構わないんで、所感を教えていただければと思います。

田中:
まあ、ホント不思議な国になったよな、という感慨がうっすらあったかもしれません。いろんな意味で。
いや、それって、もうとにかく今一番考えたくないことなんですけど。
だからこそ普段は都内に出たくないから仕事の打ち合わせ以外は武蔵野に引っ込んで、暇があればプールで泳いでいるし、地上波のテレビも観ないで、東映任侠映画ばかり観てるし、オンラインの日本語にあまり接しないようにしているし。

あとは、97年から始まった独立資本の日本のライヴ・エージェエンシー二社が作り上げようとしたフェス文化がこれで一旦終わるのかな、という感慨。黒船ライヴ・ネーションの時代がやってくるんだなー、またいろんなものが変わっていくんだなー、という。ま、それも正直どーでもいいんですけど。ははは。相変わらずシニカルですいません。

―韓国にもケンドリックラマーを見に行かれてたと思いますが…。

田中:
10年ほど前に首の持病がひどくなってから飛行機に乗ることが本当につらくなって、北米や欧州に10数時間かけて行くなんて無理!ってことになったんです。それまでは年に5〜6回は海外に行ってたんだけど。で、すべて仕事でしか行ったことがなかった。なので、今回のソウル旅行は生まれて初めてのプライベートでの海外旅行、生まれて初めてのアジア旅行だったんです。
初めてのおつかい的な大冒険。


―韓国の町の感想などを聞きたいです。

ケンドリックのライヴ会場周辺以外は、ほぼずっとホンデにいたんですよ。なので、そこでの雑感しか話せません。でも、とにかく楽しかった!

ホンデは学生街で。日本で言うと、青山と原宿がごっちゃになったような街という印象。ここ10年のソウルのインディ・ロックを培った街でもあるようで。昔の原宿のホコ天みたいな場所で、10代のポップ・シンガー・ワナビーたちが夕暮れまで路上パフォーマンスをしてたり、そこに観客が群がってて、それがオンライン・メディアの番組になっていたり。アートというよりは芸能寄りなので、例えとして正しいのかどうかわかんないけど、
大昔の『アサヤン』みたいなヴァイブス。アートの可能性を支える産業としてのインフラがあるんだな、と。

学生なのか、旅行者なのかわかんないけど、街を歩いてるユースも民族や肌の色が普通に混じってたり、お店のBGMにしても普通にグローカルな二階建てで、ごく普通にコスモポリタンな印象でした。

なので、古着屋で買い物したり、BTSの連中も贔屓にしてるセレクトショップを冷やかしに行ったり、BTSのマーチを売ってるショップで記念撮影したり、深夜にはUSメインストリームのヒット曲のゴミみたいなエディットが流れてるクラブに入ろうとして断られたり。でも総じてユースのヴァイブスが最高でした。飯食う場所も出来るだけ観光客向けじゃなく、地元の人間が集まる店を選んだんだけど、店のおばちゃんたちも無愛想は無愛想なんだけど、こちらからグイグイ行くと、すごくフランクで。一番近いのは福岡かな。初めての場所に旅行して一度も嫌な気分にならなかったのは、初めてかも(パリとか京都とか必ず嫌な気分にさせられる!)。

ケンドリックの観客も総じて若者しかいないんだけど、トライブがいろいろと混ざってて、誰もが好き勝手にやってて、非常に心地いい空間でした。ケンドリック観るならソウルで観たい!という直感は間違ってなかった。たかがライヴ観るだけの話なのに頑張りすぎたりしたくないし、嫌な気分にもなりたくないし。日本の現場の大半はそんな普通なことが叶わなくなってしまったので。

件のセレクトショップに行った時に、お店の男の子に「昨日、ケンドリックのショーであなたを見ました」って言われたのがオモロかったかしら。どこに行ってもみつかる的な。

でも、一番最高だったのは、ホンデの駅を出た場所にデカデカと「禁煙」って書いてあるんだけど、誰もがそこでぷかぷかタバコふかしてたことかな。喫煙率多めなのも良かった。



―現在韓国だけでなく、No Romeなどが出ている東南アジア、88risingの中国など、アジアの音楽シーンの動きが活発化してます。そこらへんの所感も教えていただければと思います。(spotifyのラジオでも少し言及していましたが、まだ足りないので!)※ちなみに僕はサマソニでsen morimotoやhigher brothersなど中心に見ました。silk-kも観たかな。どれも良かったです。


普通に健康的ですよね。もうこの言葉使いたくないんだけど、
すっかりガラパゴス化して、文化的鎖国を決め込んだかに見える日本のポップ・シーンにあって、日本のアンダーグラウンドのラップ/ヒップホップに関しては、質やオリジナリティという点からすると、そんなに東アジア諸国に引けはとってないと思うんですよ。でも、アートや作家を支える産業的なインフラの決定的な差があるのかな、と。日本のファンダムに目をやると、体系や文脈に対してしっかりとした知識があって、作家やカルチャーに対するロイヤリティを持ってる人たちが、世の中のカジュアル層にシームレスに繋がってる印象がないでしょ? この夏のハイヤー・ブラザースの観客と、普通に渋谷を歩いてる人たちに乖離があるっていうか。勿論それも変わっていくんだとは思うけど。て感じですか。


―今回のイベントのテーマは「( A )と( B )( B? )」というテーマでした。
その言葉に対して何か思うことはありますか?

ごめん、文脈が汲み取れてないかも。グローカルってこと? まあ、文化が豊かになるために必要なベクトルというのは常に二つあると思うんですよ。
ローカルとグルーバル、アンダーグラウンドとメインストリーム、
そのどちらかに振り切れてしまうと、つまらない。という思いは常にあります。で、その二つがシームレスに繋がっていること、流動的であること。
あは、要するに、日本だと一番難しいやつね。ははは。

―「( A )」「( B )」という言葉から連想するアルバムか曲があれば教えて下さい

「」という言葉から連想するアルバムや曲を1枚ずつ、教えてもらうという形でも構いません!

(A)はミニマムってこと?
(B)は状態ではなく、動作を示す言葉ですよね?
わかんないなー、粋なことが言えないかも。(A)は今年の5月だか、6月だかに出たTierra Whackのアルバムとか? 15曲で15分のアルバム。


( B )? ( B )? うーん、あんまり( B )っていう言葉自体にいいイメージがないのかも。例えば、自分自身の中で、理想的なポップの定義とは無縁な言葉だっていう気もします。ごめん、思いつかないや。すいません。



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