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他人のためにって実はあんまり向いてないのかも知れないというお話

最近、心身の調子が崩れているように感じます。実際はそんなことないのかも知れませんが笑。ちょっとペースを落とすタイミングなのかも知れませんね。

さて久しぶりにブログを書こうと思ってですね、ホロスコープの話題を書こうと思ったのですが、一旦手を止めまして……書こうとしていた内容をあらためてみることにしました。

直前の構想ではyujiさんの才能本の話について読んでくださってる方が多いので、才能の話を読んでくださっている方々に向けた内容の発信にしようと考えたのですが……待てよ?と思いましてね。

僕は無意識にこう『他人のために』といえば聞こえがいいのですが、(自分を後回しにして)役に立ちたいと思うことが多いのですよ。

書いていて思ったのですが、人の役に立つには自分を後回しにせねば、本当の役に立ったとは言えぬ。みたいな思いこみがあるようですね笑

いやいや……自分の好きなことを発信して、それに共感してもらったり、賛同してもらったり、あるいはこうはなりたくないなぁとか思って貰えるのも役に立つやん?何故、自分を後回しにするんだ?と不思議に思いました。

おそらくですが、家庭内で母親が自分を後回し(にしているように見えた)にしている様子を見て、他人の役に立つには自分を殺さねばならぬと学習したのかも知れません。真偽は不明ですが、役に立とうとしてしまうんですよね笑

そして皮肉なことに役に立とうとするほど、情熱は空回りするし、期待がこもる分、思っている反応が貰えないと落胆すると。 

現在書いているホロスコープ(才能)の話は僕の個人的な話なので、期待感が無かったり薄かったので読んでもらえて『ラッキー』みたいな感覚なんですよ。読んでもらいたいという期待ゼロでは無かったですけどね笑

以前にも書いたことで、とても共感を覚えたのが『自分が感じたことに強く興味を覚える』『何故そう感じたのか?何故そう感じるのか?』『それを自分なりに言語化出来ればそれで充分』という内容でした。

パートナーの話を聞くときもそうなんですが、話し半分で聞いているくらいがほどよく聞けていることがあります。そういうときっていい塩梅に力が抜けているんでしょうね。

僕は基本的に自分という人間の心の動きに強い関心を持っているだけの人ので、その分析の結果が人様の役に立つなら何よりですが、最初から役に立とうとすると自分の本質からズレてしまう氣がします。

人並みに役に立ちたいという思いはあるのですが、だからこそ自分に集中する必要があるように感じました。

p.s.
最近読んだバシャールの話で似たようなことを言ってましたね。バシャールはオープンコンタクト(人類とアイデアを共有すること)が情熱だけど、自分の話を人類が聴くかどうかには一切関心が無い(期待が無い)と。

聞いてもらって、アイデアを共有(採用)されるかどうかにも関心がないと話をしていました。

ただ話すことが自分の情熱だから、話していると語っていました。じゃあ、鏡に向かって一人語りしているような状態にはならないのか?という話ですが、バシャールが言うには『宇宙はコインの片面だけ渡して、裏面を渡さないようなことはしない』らしいです。

つまり情熱のもった語り手にはそのことを聞きたいと望む聴衆が現れると。時間差が生まれたり、たった一人であったり、人間じゃなかったりするのかも知れませんが笑

僕たち人間は期待するのが当然で、期待することが普通だと感じて生きていますから、いきなりそんなこと(期待を一切手放す)を言われても不思議に思いますけどね。

案外期待を手放して、その軽さを感じたら二度と期待なんてするのは、止めようと思うのかも知れませんね笑。

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