一日の中で感じる事を意識しはじめた話
今回は感じることをテーマに記事を書いてみようと思う。
この間 パートナーと最近 感じていることについて話し合いをした。彼女の抱えている不安などが色々と出て来たりして 私たち(自分たちを含め)が求めているのは 日常の中で幸せとか安心感 ワクワクする気持ちを感じる時間 そういったものを求めているんじゃないかという話をした。
ただ 都会で暮らしていたり 資本主義社会の中では 私たちが暮らしているペースよりも 物事が速く進みがちだ。一つ一つの物事を 私たちが心で感じる間もなく 何もかもが過ぎ去ってしまって 結局 様々なことを達成したり 得たけれど 胸には空虚感が残りつづける。現在の社会はそんなことになっていないだろうかと思う。
自分自身を振り返ってみると 近頃 何かに追い立てられているような感じがしていた。特にこれと言って 原因は思いつかないけれど ウェブ上のニュースや政治の話題を見すぎて 心が少し疲れていたのかも知れない。
話は変わるが最近 奈良県の龍田大社(たつたたいしゃ)という神社へ参拝した。ここは風の神様を祀っておられる神社だが 宮司さんから話を伺う機会があり 感じるという言葉は「神知る」から転じた言葉という話を聞いた(正確な所を覚えていなくて そういう説があるという話か 実際そうなのか忘れてしまったが……)
ともあれ 感じると 神を知る には通じるものがあるようだ。神というと宗教色が強く思うかも知れないが ここで言う神とは 身近な自然のこと ご先祖様のこと 目に見えないけれどこの世界を動かしている力のこと そういったものだと思う。それらの存在について想いを馳せたり 心で感じる時間があること それが豊かさや 幸せに繋がっているのではないかと今の私は思っている。
例えば、
・ご飯をゆっくりと味わって 美味しさを五感で感じること
・心地よい風が吹いて そのことを身体と心で感じる時間
・お風呂にゆったりと入って 身体と心が温まる時間
・友人や家族と話をしたり メッセージをして心の交流をする時間
・自分のしている仕事に対する充実感や 満足感を感じる時間
・ヨガやマッサージなどで身体が緩んで気持ちいいという感覚
ここの例え以外にも沢山 感じる時間というのはあると思う。ただそれらは心にゆとりや 余裕がなければ 日常の中で流れていってしまうものだと思う。自分が一番苦しかった時を振り返えると 心のゆとりや 余裕が大事と言われても「それは分かるけど 今は無理だよ」と答えていたと思う。
そういった状態で 感じることは難しいと思うけれど 何度もそういった状態を経験したことから言えるのは そういう時でも ふと心に光が射す瞬間がある。今 もし心が暗闇の底に沈んでいても 光が射すその瞬間を掴まえて 少しずつで良いから また浮かんでいけば良いのだと思う。
私も人一倍 浮いたり 沈んだりで 忙しい人間だ笑
だから 焦ったり バタバタともがいたりして 沈んだり 浮かんだりを繰り返しながら 少しずつ 海面から世界を眺める時間を増やしていこうと思っている。