自分にとっての『スピリチュアル』とは/答えはないし間違ってもいいから自分の感覚を大事にする
あらためて考えてみると普段使っている言葉でさえ自分の言葉で話せていないことに氣づくことがあります。
例えば僕はスピリチュアルが好きですがいざ『スピリチュアル』とはなんぞや?と訊かれるとスピリチュアルってなんだろうと思います。
僕が感じていることをとりとめもなく書いてみるとご飯を食べる前にする『いただきます』という言葉。『手を合わせる』という行為に自分にとってのスピリチュアルのヒントがあるような氣がします。
基本的になにかを食べないと生きていけない人間にとって作物や食物を作ってくれる人。採ってきてきてくれる人。なにより太陽や風や雨。大地やその中に存在する微生物たち。多くの見えない存在によって動物は生かされています。
そういった見えないモノたちとの繋がりを意識するということが僕にとっての『スピリチュアル』なことを考えるうえでの原点な氣がします。
バシャールが生きるうえで人類にとって欠かせないモノのひとつが繋がりであると話している動画を見たことがあります。ここでいう繋がりとは人間同士の繋がりだけなく 動物や植物 無機物との繋がりも指していると感じます。
例えば車が好きすぎて車と結婚したりする方がいますが僕はそれを素敵なことだと思います。なにかを大切にするということを自分を大切にすることにも繋がるからです。
僕は『スピリチュアル』が分からない。あるいは嫌いな人がいて構わないと思います。分からないという方の中にもスピリチュアルな生き方をされている人も沢山いますし スピリチュアルな考えが嫌い人も嫌いになった理由があると思うからです。
話が脱線しそうなので戻します。
『スピリチュアル』を好きでよかったと思うことのひとつは自分自身を見つめ直すことが出来るからです。僕はよく母にスピリチュアルな話をしては理解されずに¨説得¨しようとしていたのですが ¨説得¨しようとしている時点で自分が話している内容を信じていないことに氣がついていませんでした。
パートナーシップの中でもその課題は出てきたのですが自分が信じているなら 相手がそれをどう思うかは関係ないのだと思います。そういったことを見直すキッカケになったのも『スピリチュアル』なことについて学び始めたからこそ見えるようになってきました。
書いてみてあらためて感じましたが 僕にとってはスピリチュアルとは現実世界を生きる智慧のひとつなのです。