生きる屍だった2020年
2020年が終わった。
というか、2021年になって4か月も経っている。
記事は年明けくらいに書いていたのだが、あまりにも内容が鬱っていたので、公開をためらったのだが、そんな自分も出してみるかと思い至り、公開してみることにした。
2020年。
notoへの投稿はもともと多くないのに、この年は一切しなかった。
なぜかと言えば、死んでいたようなものだからだ。
何とも情けない話だが、私は生きる屍だった。
元々、地域おこし協力隊としてこの地にやってきて、都市部からやってくる人を招くような仕事をメインとしていた。しかし、コロナウイルスの感染拡大によって、その仕事は休止状態となった。
何が出来るのかと言えば、地域の発信くらいで、今まで繋がりがある人達に向けたような動画ばかり取っていた。その辺のスキルの低さも悩みの種ではあったが、それでも何か動かなければと、地域の状況を発信し続けてみた。
オンラインイベントの必要性
そうしているうちにオンラインでのイベントがいろいろ発生してきて、私もやってみようかとチャレンジした。まぁ、かっちりとしたモノではなく、今までウチに滞在した人達が居間で皆でワイワイ情報交換したりするのをオンラインで出来ないかと思ったわけなのだが、結果的に、反省点の多いイベントとなった。楽しんでくれた人もいたようだったが、私のキャパの小ささと無計画さが露呈したように感じて、参加してくれた人達にも申し訳ない気持ちが大きかった。
その後、一緒に事業をやっているメンバーにもう一度オンラインイベントをやる、やらないで壁打ちのような事を繰り返しているうちに、私の心はマヒしてしまった。
自分の企画力の無さや無力さに、もう自分自身の必要性も感じなくなっていた。
この体をうまく使ってくれる何か
そんな中、お世話になっている農家の奥さんが入院した。これではビニールハウスで育てているキュウリの収穫作業が回らない。ということで、朝の出勤前にキュウリ収穫の手伝いをするようになった。心はマヒしていて「もうヤダ」「疲れた」としか思わないのだが、「ここでこの農家のご夫婦に何かあったら、私は後悔する」という思いだけで、毎朝ビニールハウスに通った。
それと同じくらいに、それまでも活動してきていた、廃園になった保育所にカフェを作るというハナシが本格的に動き出した。クラウドファンディングをして、カフェにするためにセルフリノベーションに夜な夜な通うことになった。保育所活用についてのメンバーは10人ほどいるはずなのだが、ほとんどが車で1時間ちょっとの福井市に住んでいる方々で、リノベーションに参加できるのはこの地域に住んでいる3人とカフェのオーナーとなる女性の4人だけ。果てしない作業にに途方にくれながらも、仕事が終わったら保育所に通った。
自分で「これがやりたい」と思えない私は自分の体をうまく使ってくれるところで使えば良いと体を酷使し続けた。立ち止まったら動けなくなるとも感じていて、ただ、無心に作業をし続けた。
キュウリの収穫もリノベーションも土日も無く続けていたので、私は常に疲れ切っていた。それでも眠りは浅く、疲労だけが蓄積されていく。
早く命が尽きればいいと思いつづけていた。
そんなことを言えば周りは心配するのは分かっているし、ただの「かまってちゃん」のような気もしていた。この頃の私はからっからのうわべだけの笑顔だったのではないかと思う。
それでも
時がたてば、状況は動く。農家の奥さんも無事退院してきたし、カフェもなんとかオープンできた。前を向けずに足元か上を見ることを繰り返してた私も、やっと少し踏み出すことができた。
それはやはり、まわりの人の力が大きいと感じている。
農家のおじーちゃんおばーちゃん。いっしょにリノベーションした仲間たち。協力隊の仲間。そんな人達との関わりの中でなんとか動こうと思えるような気持ちになった。
早く命が尽きればいいとは今でも思う。多分この思いは多かれ少なかれずっとあるんじゃないかと思う。吹雪いている外を見ながら、「あの中で寝たら死ぬかな」と考えて、「けど寒そうだな」とやめる。私はツライなと感じていたとしても、とり立てて不幸なわけでなく、どちらかと言えば恵まれていて、幸せな人間だと思う。幸せだからお腹いっぱいで「もういいや」と言っているような、生命の危機が迫っていない贅沢病みたいなものだ。
けれど「あと1年で死ぬ」と思うと、「あー、あれやっておこう」と思う気持ちが出て来るし、私の中ではそんな気持ちもポジティブスイッチのようなものになって来たように思う。
死にたい消えたい気持ちは誰にだってあって、大きくなったり小さくなったりにうまく付き合っていくものだと感じている。
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