握手は互いに差し出すからできるわけであって
なんだか今日は筆が進む。
昨日書いていなかったからかな。
それとも休職期間終盤になって心の整理ができ始めたおかげか。
いずれにせよ、気になったのは表題の件。
よく言われる
「人には優しくしましょう。」
「自分がされて嫌なことは他人にはしないように」
「自分がここまでしているのだから相手もしてくれる。」
と言った類の言葉たち。
それって相手も同じ土俵に立っているからできる話であって、
仮に相手が傍若無人で、こちらの意図を完全に無視してくるひとだったら?
そう思うと、上記の言葉たちは性善説に基づいているのだろう。
でも現実はどうか。
必ずしもそうではないと思っている。
嫌なやつはとことん嫌なやつだし、
こちらの善意を無視して、結果的にこちらが損することだってある。
とか考え出したら
みんなギクシャクしちゃうから、
私だけでも性善説を信じて、尽くしていこう。
となるのが今までの私だった。
でも、そのおかげで病んでしまった。
つまり、その手ができるのは
精神的に強い人に任せるしかないのかもしれない。
わたしなどの豆腐メンタル野郎は
そこまで人に優しくできない。
人に優しくしたとしても、自分がやられては意味がない。
残念ながら私はそこまで人間ができていない。
綺麗事でもいいじゃないか!!!
とジャンプの主人公だったらそう言っているかも知れないが
残念ながら現実は少年マンガに綺麗な世界ではない。
ということを残念ながら休職期間中にいろんな過去を思案していたら
悟ってしまった。
これが大人になると言うことか。
絶望するとともに、それでも生きていかないといけないから
その対処法を学んでいく、これもまた大人になるということ。
なんやかんやで擦れてきたなあ。
いいのかわからないけど、
綺麗な世界や性格に憧れるけど
それができたらこの世の中はもっと生きやすく
平和にまみれているのだろう。
残念ながら理想と現実は交わらない。
そうでありたいという希望は持てたとしても、
その後ろには現実に怯えている。
戦争なんかやめろ!と大口を叩いている日本も
自己防衛のための自衛隊を保有している。
それが何よりの証左だと思っている。
結局綺麗事だけでは無難に生きていけないのだ。
それがメンタルの弱い我々のような人種ならなおさらである。
理想だけを語る世界線があったらいいのになぁ。
ということで、
私は私と家族を守るために
攻めることにした。
相手が可哀想だとか、
自分にそれが返ってきたら嫌だから優しくするだとか、
もうそんなことは言ってられない。
恥も外聞も無く、守るしかないのだ。
自分が闇堕ちしていく感覚がわかる。。
きっとそれはいいことではないのもわかっている。
それでも守らないといけないものがあるのだ。
他人なんてクソ喰らえだ。
という少々過激な心持ちでいかないと
本当にそうなれないので、あえて強気の宣言をしておく。
大丈夫、私が闇堕ちしたって
誰にも迷惑はかからないさ。