「(人に対する)残念」って言葉が嫌い
ふと、昨夜思い出したこと。
「残念」という言葉について。
「残念」という言葉は
と定義されている。
別にこの言葉が
“ある事象”について使われることには全く問題ない。
「この天気では試合ができず残念だ」的な。
その用法だったら私もほぼ毎日のように使っている。
しかし気になるのは、
これが“人”に対して使われた時である。
「君には残念だ」的な。
なぜ発言者の「期待」に応えられないといけないのか。
発言者が“勝手に”期待して、“勝手に”失望しているだけだろう。
その昔、元同僚に言われたことがある。
彼は自分の思い通りにならないとすぐに癇癪を起こす癖があった。
こちらの事情も計り知らず、自分の都合通りに事が運ばないと
すぐにキレてくるというまぁ厄介な性格を持っていた。
そんな彼の言動にビクビクしていた当時の私だったが、
LINEで「そういうところが残念だよ」と言われたことがある。
その通知を見た時に、私は魔法が解けた感覚になった。
実際には魔法にかかったことがないのでよくわからないが…
「ハッとする」という経験であったことには間違いない。
彼の一挙手一投足にビクビクしていた私が賢者モードになった気分というべきか。
ともあれ、
「残念」という言葉をもらった私は
ほぼ初めて「既読スルー」というやつをした。
(言い返さないのが可愛いね、というか言い返す元気もないほど辟易していた)
私の性格上、既読スルーなどほぼしたことがなかったのだが
この時はとても意図的に既読スルーした。
そのくらい頭にきたのである
(正しくは「こいつ何言っちゃってんの??」という純粋な疑問の気持ち)
なに勝手に期待して、勝手に失望しているんだよ。
そんなこと知らんがな。
あまりに不条理な言葉だなとその時悟ったのである。
別にどの自己啓発本にも書いてなかったし(私が読んでいた中には)
SNSのつぶやきでも見かけたことのない視点だったので
珍しく、自分自身でたどり着いた境地であった。
ひとの期待には応えたいが
それを勝手に押し付けられ、それが叶わないと知るや勝手に傷ついて反論してくる。
なんて自分勝手な言葉だろう、「残念」というものは。
「残念」という感情が沸き起こったら、それは自分自身で処理してくれないと困る。
なぜお前から生まれた一方的な感情をこちらで処理してあげないといけないのか。
何か他人に対して「残念」という気持ちになった、というわけではないが
なぜか思い出してしまったので、
その時の感情を極力思い出して書いてみた次第。
みなさんも、誰かに対して「残念」という感情を持ったとしても
それは自身の中に留める、もしくはこうしてnoteに書いておく程度に
しておくべきですよ。
直接本人に伝えても、当惑するだけですから。。
(当惑、後悔させたいならまだしも、深い意味がなければ控えてもらえると)