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冴羽獠になりたい男は回天で己の小ささを知る

7/14-15で家族の許可をもらって
山口県周南市へ一人旅行いってきた。
主たる目的は別にあるのだが
寄り道の方でも響いた経験がたくさんあったので
忘れる前に書いておこうと思う。

冴羽獠になりたい

移動中にNetflixで実写化されたシティハンターを見た。
アクション映画としてもちろん面白かったが、
冴羽獠のスタンスに目がウバれてしまっていた。
普段は3枚目なのに、仕事のピンチになると2枚目。
仕事でもピンチでなければ3枚目で、とっさのハプニングもユーモアで切り替える。
冴羽獠に憧れるのはある種、日本人の運命なのかもしれない。
その萌芽が人生のどのタイミングで来るかは人それぞれといったところか。
私の場合、それがちょうど欲しているこのタイミングだったという幸運である。

悩んだり、不安に押しつぶされそうになったら
彼の背中を思い出そう。
もっこりといこうじゃないか!

回天記念館で“生きる”を考えさせられる

山口県周南市大津島の回天記念館へ行ってきた。
元々、回天の存在は佐藤秀峰氏の「特攻の島」で知っていたので新たな発見というよりも、史実を知りに行く、というものになった。

記念館では
命をかけて祖国を守ろうとする若者の存在を改めて目の当たりにした。
その尊さと同時に、自分の悩みが如何に小さく、くだらないものであるかを痛感させられた。
英霊たちを前にただただ恥ずかしい思いをした。
彼らが命を賭して守ったこの国で私は何しているのだろう、と。
愛国者である覚えはないが、それでも我が国のために戦ってくれた若者たちを尊ばないつもりもない。

残された手紙や言葉はとても立派なものであった。
検閲があっただろうから、どこまで本心で書かれたものかはわからない。
もしかしたら、私のように豆腐メンタルだったかもしれない。
それでも歯を食いしばって“大和魂”を振り絞って言葉を遺した彼らを尊敬せずにいられない。
如何に自分が平和な現代で、
クソみたいな悩みにクヨクヨ打ち負かされていただろうか。
これを恥と呼ばすなんと呼ぼうか。
なんて思想強めなことを書いたが、そう書かざるを得ないほど、胸にくるものがあった。
と、同時にとても下世話なライフハックになるが、
いかに私が仕事で叱責されようとも、ミスをして詰められようとも、
彼らの苦痛には到底及ばないことを学んだ。
死ぬことはないし、家族と離れて特攻を命ぜられることも、家族に危険が迫ることもない。
ああ、なんてぬるい時代だろうか。
と思うと、多少はラクになれる。

記念館をあとにしてからは島の散策をした。
あいにくの雨だったのだが、
それでも当時に思いを馳せることができた。
彼らはこの島でどんな思いを秘めながら生活していたのだろうか。
荒れ模様の最中、トンネルを抜けるのは正直怖かった。
しかしここでその恐怖心に負けたら何にもなれない、彼らの思いを感じれらないと
己を奮い立たせて、トンネルを走破する。
その先には、当時の様子を伺える遺構が待っていた。
思いを馳せると同時に、恐怖心の先には「何かが待っている」という体験をした。

切り抜けたからこそ見つけられるものがあると、
今までは誰かの受け売りや名言などで知ってはいたが
実際に自分の身に起きると、その名言の解像度が上がっていた。
いいこともわるいこともやってみないとわからない。
想像だけで、妄想だけで完結することほど愚かなものはない。
その妄想は妄想なのだ。
なにひとつ現実になっていない、わかっていないことである。
妄想を取っ払う必要すらない。
だって妄想なんだから。
そんな妄想からは目を逸らせ。
その分、“現実”には目を向けよう。
ここでいう現実は極めて客観性の高い、メタ認知をフル解釈させたものである。

また不安や緊張に苛まれる日がやってくるだろう。
その度にこの記事を読み返して、この訪問を思い出して、
強くありたいと本心から思っている。

海の漢たちのだだっ広い生き様

山口県で高校の先輩と飲んだ。
途中から地元の仲間たちが増えて、最終的には宴会みたいになった。

海の漢として地元で生き続ける先輩はとても大きいひとだ。
(フィジカル的にも大きいけど、心の器の話である)
お酒を飲みすぎて(飲まされすぎて)詳細はほぼ覚えていないけど
それでも「俺の悩みなんか、この人からしたら眼中にもないだろうな」と
痛感させられたことだけは覚えている。
なんでもかんでもテキトーでいいし、それでも笑顔で生きているし
楽しく酒飲んでいるのが楽しい、といった感じだった。
もちろん彼にも人には言えない悩みや、理解されない苦しみもあるだろう。
でもそれを感じさせない(私が感じなかっただけかも)ほど
前向きで豪傑であった。
同じ人間なのにステージが違うというか
やっぱり人生はメンタルゲームなんだなと実感した。

そんな豪傑な先輩に向かって、自分が休職しているなんてことは言えず
ただただ前向きな刺激をもらうだけもらってきた。
いつかこのことを本人に伝えたい。
なんでもないあの日の飲みが、私を奮い立たせてくれましたと。

まとめ

この旅の主目的は、ただただ楽しいことをしにいく、というものだったが
その道中や副次的な経験の方が
今の私には学びになった気がする。
総じて、「楽しい」も「ためになる」も両方得られた
とても贅沢な一人旅になっていた。
こうした非日常もまた、私を作り上げていくと実感できた。

さて日常もこの調子で踏ん張っていきましょう。

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