身辺雑記5
正午になるや否や雨が降り出し、傘を持っていない人々がオフィス街のビルディングの狭間を小走りで通り過ぎてゆく。きっかり正午に作動するようセットされていた人工降雨装置への憤りにも似た熱情をダウンジャケットのフードで覆い隠している新卒入社5年目くらいの若者が、青信号の横断歩道で初老の紳士とすれ違う。初老は半透明のヴァイナル傘をさして神田駅前から縉紳館のほうへ歩いてゆく。落ち着きがない。横断歩道をわたりながら何度かうしろを気にしている。ちらちらうしろを振り返って逡巡しては思い直して進む。忘れものをしたのでなければ尾行の気配を感じたのかもしれない。虚ろで生気がなく幽霊のような人たちが歩いている。たくさんいすぎて追跡者を見つけるのは難しい。おまけに誰もがオフィス街特有の没個性的な服に身を包んでいるため余計に特定が困難である。そこには、特徴がないことがメタ的な意味での特徴になり得る余地すらなく、すべての人間がディープフェイクであってもおかしくないと思わせるような安手の陰謀臭がぷんぷん漂っていた。裏を返せば尾行にうってつけの場所でもある。象皮色の空は一時間あたり1-2mmの降雨量をキープしている。雨がぽつぽつと傘を叩き、路面には水たまりの鏡ができている。視点的人物としてのおれは、食べてみないと美味いか不味いか判断のつかないイタ飯屋に入る。カランカラン。いらっしゃいませ。食べる前から不味いとわかっているイタ飯屋でも金銭的事情で嫌々入店、注文、飲食、会計せざるを得ない場合もあるが、今日は違う。今日こそは違うと信じたい! イタリア料理には変わった名前のものが多い。プッタネスカは娼婦風、アサッシーノは暗殺者、世間一般の価値観としてあまり子供に食べさせたくない料理名である。暗殺者のパスタなんて知らずに喰って死んぢゃっちゃ後の祭りですよ。チーン。遺影。君がいた夏は、遠い夢の中。実際にはパスタを湯でる前に炒めて焼き色をつけるのが特徴的な料理であって毒は入っていない。入っているわけがない。いや、本当だって。たくさんあるうちのどれか一つには入っているなどということもない。お残しは許しまへんで! アサッシーノには暗殺者のほかにヘボ料理人の意もある。暗殺者のパスタならぬヘボ料理人のパスタ。益々不味そうな名前ぽよ。大根役者がつくるブリ大根みたいなものかな。ワンチャン美味そうぽよ。プッタネスカ、娼婦自体はプッターナと呼ぶらしい。その言葉が好ましい使われ方をすることはない。フランス語のピュタンと同じ。娼婦、暗殺者とくれば江戸川くんでなくとも切り裂きジャックを連想する。健康に悪いという理由で食べさせたくないものはたくさんあれど、料理名の説明に窮するので食べさせたくないものというのはあまりない。私にも二人の子がおり、一人は中卒でアフガンに行き、もう一人は24歳の学生で、もう何回留年したか数えきれないくらい留年している。というのは何から何までぜんぶ嘘なのだが、仮にそんな子を持つ親であっても教育とりわけ食育への一定の配慮はあるだろうという第三者の勝手な希望と思い込みゆえに多くの誤解と行き違いを生むことができる。意図的に誤解や行き違いやトラブルを惹起することが着想の種になることもあるのだ。そのような嘘やでまかせが原因で怨みを買い暗殺者にテイク・ケアされることになっても仕事であれば仕方がないと割り切れるレベルにはまだ達していない。