第三の異常者
K君には思想的に危険なところがあったので、M教授殺害事件に関与していても不思議はない。M教授は言論の過激さに定評があり、そのことで多くの人から怨みを買っていた。K君もM教授を憎んでいた者の一人である。実際に彼を殺害した松岡という男は、すでに自害していると報じられている。K君と松岡は、互いに面識がなく、各々ローンウルフだったが、K君は、松岡がM教授をキャンパス内で殺害するところを目撃していた。その日、M教授を殺害しようとしていたのは松岡だけではなかったのだ。午後四時過ぎ、松岡はほとんど無抵抗なM教授をサバイバルナイフでザクザクと刺し、M教授が動かなくなるのを見るや、風のごとく現場を立ち去った。松岡に先を越されたK君は、M教授に向けていた殺意のやり場を失い、その足で松岡を追いかけていって殺してやろうかと思ったが、無益な殺生はしないことにした。おれの殺人計画は高尚なものであり、感情にまかせた人殺しは野蛮。野蛮で承服しかねます。K君は怒りと興奮を鎮める。首から流血して倒れているM教授を遠くからじっと見る。その表情は突然死んだことへの驚きにあふれており、彼の肉体から切り離されつつあるアストラル体がクエスチョン・マークとなって頭上に浮遊しつづけている。己の死に対するツッコミの途中で絶命した漫才師のようである。M教授の死を知っている者はまだ誰もおらず、殺害現場に防犯カメラはない。K君は周囲を気にしながら死体のほうにゆっくりと近づき、スマートフォンのカメラを向ける。写真より動画のほうがよいだろう。赤い丸の録画ボタンを押す。自分の生を実感するあまり笑いそうになるのをこらえる。典型的なcensoredの精神状態だった。三十秒ほど撮影すると、足早に立ち去る。走れば学生たちに怪しまれるからだ。殺人の通報を受け、周囲の警戒にあたっていた二人組の警察官に職務質問をされる。リュックのなかを調べられる。出刃包丁が出てくる。なんですかこれは。出刃包丁です。三丁目の金物屋で買ってきたんですよ。お隣さんが海釣りを趣味にしていましてね、釣ってきた魚をいただいたんですよ。こーんな大きい鰹をね。と言ってK君は両手を広げる。そいつを裁こうと思ったら家にろくな包丁がないものでして、それで買いに行ってたんですよ。金物屋で購入したとおっしゃいましたが、なぜ抜き身でリュックのなかに入っているんですか? ふつうケースに入った状態で売られていますよね? ゲッ、現品限りのシロモノでしてね、展示品だったんですよ。それでケースも何もないんです。警察官は不審そうにひそひそ話をする。防犯カメラに映っていた被疑者と思われる男の人着と著しくかけ離れていることからK君は解放される。そんな怪しい人物を警察が簡単に解放してくれるご都合主義もさることながら、M教授殺害に直に関与したわけでもなく、何が悲しくて、ただM教授が殺害される様子を遠くから見ていただけの人物を話の中心に置くのか。しかも実行犯の松岡とは面識も接点もないという。そんな話の何が楽しいのかさっぱりわからないし、こんな話を書く人間に小説の才能などあるわけがない。だいいち、こんな話を思いつく時点で不謹慎であり、モラルがなく、人としてどうかしているのではないか。そうに違いない。そう確信したK君はパソコンを窓から投げ捨て、果物ナイフを持って病院を出る、本当の真実を手に入れるために。教授の言説に怨みを持って犯行に至ったわけではないと松岡は遺書に記していた。松岡はM教授のゴミの出し方に不満を持っており、注意しても改善しないことから犯行に至ったとも記していた。M教授が著名な社会学者であることはまったく知らず、TVの報道ではじめて知ったという。警察による裏付け捜査の結果、M教授のゴミの出し方が不適切であることは近隣住民のあいだでも有名であり、そのことでトラブルになっていたのは松岡だけではなかったという。なかにはM教授の死を喜ぶ者さえいる始末だった。一方で松岡の部屋からはM教授の著書が大量に押収されており、警察は、犯行動機がゴミの出し方への不満だけであった可能性は低いと見ている。ではなぜ彼は犯行動機を偽ったのか。偽りの犯行動機に合わせてM教授の著書を事前に処分しなかったのか。松岡は本当に自殺したのか。
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