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#感想「evala 現われる場 消滅する像」/自由な想像の遊び

ICCの展示を観てきた感想を🎨
(※展示の感想シリーズは50音順投稿のマイルールから外すとする)


無限に現れる「場」と「像」

いきなり展示の名前そのまますぎるが、
まず、サウンドに載っている環境音やノイズの感じ・波のような前後関係から、視覚情報が何もなくても脳内に浮かんでくる「場」や「像」がある。

サウンドも常に変化し続けるし、歩き回っているうちにも音から自分が連想する「場」や「像」は次々と変わっていく。
それが、脈絡のない夢をみているみたいだった🛌


そして、“同じ空間にいても、違う位置にいる”“同じ空間にいても、違う人が聴く”と、サウンドから連想される「場」は全く違う。

「◯◯みたい」というと簡単な表現だけど、
展示から出たあと、連想した「場」を一緒に来た友達と伝え合ってみると、
同じものを聴いていたはずなのに観ていたものは全然違ったりして面白かった。


今自分が感じているものは今自分にしか観られないものだ、という感覚は、絵や映像を鑑賞したときに比較して圧倒的にあった。


お気に入りは《Score of Presence》

角度によってキラキラ色が変わる“音の出る絵画”がキレイで、絵画の見え方を変えるためにも歩き回っているとサウンドも変わり、
無限と無限がブラックホールを生み出しそうだった🌌



自由な遊び

解釈の仕方が各個人によってかなり変わる、という点で思い出した人が居た。

井上直久さんはキャンバスをランダムなドット、ノイズで埋めたところから絵を描く方で、
最近で言うと画像生成AIの画像出力の仕方を知った時にも思い出した人物。


自分も小学生くらいの頃は家のトイレの壁紙のランダムな凸凹を見て「これはミッキー」「ここにシンデレラ城がある」というのを思っていたけど、
今は同じ壁を見てもどこが何だったか思い出せない。

壁の凸凹をただの凸凹として見ない、そういう柔軟な発想をする機会は大人になって減った気がするけど、
「evala 現われる場 消滅する像」では、
サウンドから自由に想像して、遊ぶような体験が出来て楽しかった🧸



evala 現われる場 消滅する像
2024年12月14日(土)—2025年3月9日(日)

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