スタパさんとの出会い ~バンコクにて~ はじめて異国の地に足を踏み入れたのは、22歳、大学を卒業する年の2月のことだ。朝早い便で関西国際空港を発ち、タイのバンコクまで。時差のため、今日は2時間ほど長い。 初めて海外へ旅をする。それも一人旅だ。心細いので、最初のホテルは決めておいた。カトマンズまでの TRANSIT トランジット(乗り換え)のため、今日はバンコクに一泊することになる。バンコクまでの道中では、給油のためにマレーシアの空港で1時間ほど待つ。空港のトイレに
宮沢賢治の「雨二モ負ケズ」に、井上陽水が問いかけた。彼は、『ワカンナイ』という曲の中でこう歌う。 ♪日照りの都会を哀れんでも 流れる涙でうるおしても 誰にもほめられもせず、苦にもされず まわりの人からいつも デクノボウと呼ばれても笑えるかい?♪ あの「雨二モ負ケズ」にツッコミを入れる陽水もすごいが、やっぱり宮沢賢治は偉大である。きっと彼は「ワカッテ」いたからだ。水のように生きるのは、ぼくの目標ではあるんだが、道のりは遥か遠いようです。
大学時代の指導教官は愛想の悪い人で、ゼミの飲み会でも学生たちとは距離を置いていた。そんなO先生の指導は厳しく鋭い。学生たちはプライドをずたずたにされ、彼を敬遠した。でも、O先生の言うことは核心をついており、後から思い起こせば、それは彼の優しさだったのだと気づかされる。 そのO先生に、ある飲み会で聞いてみた。 「今まで読んだ本でいちばん感動した本は何ですか?」 「本を読んで感動するということはあまりないですね。でも強いて一つ挙げるとすれば、吉野源三郎という人が書いた『君たち
カトマンズからバンコク、そして日本へ カトマンズの観光地も、すべてまわってしまうなどということはせず、朝の気分でどこに行くかを決めた。バラジュー庭園へラクパさんとフリークライミングに出かけたりしたのも、そんな気まぐれな予定の中でのことだ。 そんな日々の中で、カトマンズのはずれにあるキルティプルという田舎の村を訪ねたのは、ただ、そこに生活している人々の、あたりまえの暮らしを見たかったからだ。軒先で糸を紡いだり、洗濯物を干したりしているような普通の家庭の様子が、とても
ボダナート 焼かれて灰になった遺体がバグマティ川に流されるのを見届けたあと、ぼくはパシュパティナートの北にあるボダナートへと向かった。さすがに足取り軽くというわけにもいかず、とりあえず元気を出すために、昼ご飯を食べることにした。山の上に比べれば、カトマンズのダルバートはかなり美味しい。…しかし、出されたダルバートとトゥクパ(そばみたいなの)は、どうがんばっても全部を食べることはできなかった。 ぼくは、3日前に夕食を共にしたKさんの言っていたことを思い出していた。「
パシュパティナート その3日後の朝、ある老人の死体が焼かれていくのを、ぼくはぼんやりと見つめていた。焼いているのはその老人の息子だという。ここはパシュパティナートというヒンドゥー教寺院で、そこを貫くバグマティ川は、聖なる川ガンジスに注いでいる。その川沿いのガートでは、あたりまえのように、いくつかの死体が今日も焼かれていた。 「人生観変わるでしょ。」インド・ネパールを訪れた旅行者がよく尋ねられる質問の一つだが、ぼくの場合、それで何かが劇的に変わったわけではない。ただ、目の
カトマンズで何をしようか。あては無い。もそもそと起き出して、昼ご飯を食べに外へ出る。そして、山で書き溜めていた手紙を郵便局で出した。まったく、それは束のように分厚くなっていた。 さて、今日はスワヤンブナート寺院に出かけよう。宿からかなりの距離があったが、歩いていくことにした。騒がしい街を抜けて、西へひたすら歩いていくと、それは小高い丘の上にそびえていた。すっかり観光地となっているその場所は、それでも地元の人々の信仰をあつめる立派なお寺で、それは荘厳な異空間でもあった。
カトマンズに帰ってきて最初に行ったのは、宿の近くの食堂だ。山に行く前にも食べたそこのダルバートは、以前よりはるかにおいしく感じられた。しかし、店員さんの反応がおかしい。なぜだろう。やっぱり日焼けして髭もぼうぼうで人相変わったかな…。いや、そうじゃない、「俺は臭いのだ! それもとてつもなく」。はやくシャワーを浴びなくては! おいしい食事の満足もそこそこに、僕は宿へと急いだ。 人は果たして何日のあいだ、体を洗わずにいられるのだろうか? たぶんはっきりとした限界などない。山
15日目~17日目 パンボチェ(3985m) → ナムチェバザール(5845m) → ルクラ(2840m) → カトマンズ(1200m) それからの3日間は、出発地のルクラまで下山を続けることになる。すべてのピークを踏み、安堵感と達成感に包まれながら、ぼくたちは歩いていた。下山途中にあるタンボチェには、チベット仏教の重要な僧院(ゴンパ)があり、そこで、その世界を、ほんのちょっとだけ、かいま見ることができたりする。これは、とっても貴重な経験で、なんというか、その荘厳な読経
14日目 チュクン(4730m) → チュクンピーク(5845m) → パンボチェ(3985m) 高度順応もうまくいき、チュクンピークへの登頂は、最高所のわりには余裕を持って果たすことができた。ヌプツェの南壁を間近に、マカルーやチョー=オユーの展望も存分に楽しむことができた。 トレッカーの多くは、たいていゴーキョかカラパタールのピークを一つ、またはその両方、というパターンが多い。さらにチュクンピークにも登頂し、しかも全てが天候条件に恵まれたというのは、かなり珍し
13日目 ディンボチェ(4410m) → チュクン(4730m) 目指す3つ目のチュクン=ピークは、標高が5845mあり、今回の最高到達点となる。チュクン村はとても小さく、3件ほどのロッジしかない。そうだ、ここがいい。日本を発つ前、親友の一人からおみやげを頼まれた。「山奥の村を訪ねることになるなら、そこにすむ人の『娯楽』は何か聞いてきてくれ」。
11日目 トゥクラ(4620m) → ロブチェ(4910m) 2つ目のピークであるカラパタールを目指す過程でもう一泊を要したのは、ロブチェである。エベレストを見るために、世界中から登山者が集まるこのロッジは、人も多く賑わいを見せていたが、不思議と誰とも話す気が起こらず、何枚も手紙を書いて夜を過ごした。ただ、ここから見えるヌプツェは、ひと味違う美しさで、いつもの夜のトイレも苦痛じゃなかった。 12日目 ロブチェ(4910m)→カラパタール(5545m)→ディンボチェ(
9日目~10日目 ~ルザ(4390m) → ショマレ(4150m) → トゥクラ(4620m)~ 今回のトレッキングでは5000m以上のピークを3つ目指す。一つ目のゴーキョピークを踏み、次に目指すのは、エベレストベースキャンプの近くにあるカラパタール(5540m)だ。そこまではさらに4日の行程。一度大きく下り、東へひたすら歩く。宿を転々とすることにも慣れた。夜中に屋外トイレへ行くために、暗闇をヘッドランプの光で歩くことにも慣れた。しかし! しかしである。このショマレ(
8日目 ~ゴーキョピーク(5380m) → ルザ(4390m)~ ゴーキョピークは、文字通り一つの天上の世界だった。エベレスト(8848m)とヌプツェ(7861m)を中心とした最強の展望だけではない、見渡す限り8000m峰という光景は、白く、壮大で神々しかった。百戦錬磨のラクパさんも “I’m also very happy.” と幸せそう。 一つ目のピークを踏んだ日が忘れられない日となったのは、その日泊まったルザのロッジが、とても心休まる場所だったからだ。ロッジ